【連載】化粧品・美容関連ベンチャーの考証②政府系VC、投資組合が直接投資、補助事業も推進

2017.03.3

特集

編集部

政府系ベンチャーキャピタル(VC)の設立は、それまで技術開発型の中小企業が銀行から融資に頼っていた間接金融から投資などを受けやすいようにした直接金融に道を開いた。
政府のVC設立に触発されて、民間の金融・保険・証券企業などが、米ハイテク集積地を視察、研修するなどして1971年にベンチャービジネスに関する任意団体「日本ベンチャービジネス協会」を東京と大阪に設立した。
こうした直接金融やベンチャービジネスの動きを契機に大手企業の研究所などで研究開発していた研究・技術者がスピンアウトして独立開業するベンチャービジネスの勃興が起きた。

1972年には、民間初のベンチャーキャピタル8社(京都エンタ―プライズデベロップメント、日本エンタ―プライズデベロップメント、日本ベンチャーキャピタル、日本合同ファイナンスなど)が設立され、銀行融資の間接金融から中小・ベンチャー企業に直接投資する直接金融の離陸を始めた。また、1975年には、通産省が民間VCの投資リスク軽減に応える形で、ベンチャービジネス推進を目的に東西に設立した日本ベンチャービジネス協会の業務を引き継ぎ、併せてベンチャー企業の債務保証を行なう財団法人「ベンチャーエンタープライズセンタ―」(VEC)を設立した。しかし、政府がお墨付きを与えて中小・ベンチャー企業に投資する官製キャピタルの形態と米国のVCのように投資先の新興企業が短期間に上場を実現することで、キャピタルゲイン(株価収益)を手にする投資形態との棲み分けが明確でなかったことで、ベンチャーへの投資や認知度は低かった。

この結果、1970年代前半は、ニュービジネスの関心やベンチャー投資の高まりが見られたものの、総じて世間を驚かすようなベンチャーの輩出がなく投資ノウハウも手探りの状況が続いた。また、1973年の第4次中東戦争で石油価格が1バレル3ドルから12ドルに急騰。これを映して1974年に消費者物価が前年比26%上昇するなど物不足、狂乱物価が起きた。しかし、1981年には、ドル高修正と金融緩和を要因に預金や現金などの流動性資産が企業活動に必要な額以上になっている「過剰流動性」をもたらしたことで、ハイテクブームが起き情報通信系ベンチャー中心に投資意欲が一挙に高まった。

このハイテクブームを背景に1982年には、日本初のファンド組成による任意の投資組合「投資事業組合」(組合員を構成する投資家から資金を集め、出資先企業に対し、主として出資の形で資金を供給する任意団体のこと)創設され、ベンチャー投資に火をつけた。また、1983年から、銀行、保険、証券会社が相次いでVCを設立し、金融系中心に約60社程度のVCが設立された。

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