地方下宿で育んだ自立心が、美容業界での“つくす心”を支える
荘司:宜しくお願いいたします。
荘司:私は、島根県は大原郡にある小さな村に生まれました。
父は地方公務員であり、兼業農家でしたから、毎日暗くなるまで働いていました。幼いころから母や祖母と草刈りに出かけたり、炊事のお手伝いをしたりしていました。厳格な祖母とともに過ごすことが多く、祖母が怒らないように、よくご機嫌取りをしていたものです。冬になればたくさんの雪が降りますから、学校までの道のりが大変になるでしょう?だから、中学3年になったときから、町のお宅に下宿をしていました。小さな部屋に、みかん箱とプロパンガス、鍋ひとつ、という生活。白菜のお味噌汁とご飯を自炊して、お腹を満たしていました。
荘司:時代が時代でしたし、土地柄もありますから、そうせざるを得なかったんです。それに、私はNOと言わない性格で、昔からどんな苦労でも買って出るタイプでした。だから、いろいろなことを「やって」と押しつけられるようなことがあっても、「はい」といって、黙ってやることが多かったですね。
荘司:そうかもしれませんね。私が校長を務める国際文学園 国際文化理容美容専門学校の教育理念は「つくす心」。云い換えれば奉仕とか、ボランティア精神を示します。それは、決して自分を犠牲にすることではなく、人とふれあうことで自らを成長させていくということです。その時々のシチュエーションに合わせて、相手にとって何が必要か、ということを瞬時に判断することが必要なのです。ある時には、その人の前を歩いてリードして差し上げることが必要ですし、ある時には後ろに立って影武者にならなければならない。時には矢面に立たなければならない状況もあるでしょう。しかし、それを日々の姿勢として積み重ねることが、「つくす心」を育てるとともに、人間として成長していくことにもつながるのです。
荘司:先日、たまたま通りかかったクリーニング屋さんの看板に「シミ抜き、汚れ取り」とありました。ふと、どこかで聞き覚えがある言葉だな、と、考え巡らせてみると、「シミ抜き」も、「汚れ取り(=クレンジング)」も、エステティックの施術であることに気づきました。これはおもしろいと思って、その横に目をやると「心で洗います」という謳い文句が書いてあったんです。ああ、なんていい言葉でしょう、と、私は感心しました。なぜなら、エステティックというのは、どんなに高くて、どんなに美白や保湿の効果があるお化粧品を使っても、使う人の心がなければその効果は表れません。そのエステティシャンにどんなに素晴らしい技術があったとしても、その手から伝わる心がなければいけません。お肌がやわな方ならば、柔らかな心を持って。疲れを取りたいという方には、疲れを取って差し上げる、という心を持って、施術に臨まなければならない。ですから、「心で洗う」というのは、エステティシャンにとってとても大事な心のあり方だと、改めて感じたのです。
荘司:その通りです。でもね、「気持ちを込める」とか、「心を込める」と、口で言うのは簡単だけれど、本当は、すごくすごく大変なこと。もしも、少しでも手を抜いたり、違うことを考えていたら、お客様にはすぐにそれが伝わります。ですから、お客様を迎えた瞬間から、お客様の体に手を当てるとき、そしてお見送りするまでのすべての行程において魂を込めて、その人のために尽くさなければならないのです。それを覚悟すること、それがエステティシャンの心構えなのではないでしょうか。
医療×美容の最前線へ──ソシオエステティック普及の舞台裏
荘司:おっしゃる通りです。人の手からはさまざまな心が伝わります。
相手のことを思い、理解し、手を通じて、その心を伝えなければなりません。私が理事長を務めております日本エステティック協会では現在、まさに「つくす心」の究極といえる「ソシオエステティック」の普及のための活動を行っています。
ソシオエステティックとは、病院や老人ホームをはじめとした各種福祉施設などで、患者や入所者に対してエステティック施術やメイクアップを施し、病状の治癒・改善の促進、疎外感や不安感の緩和、入院環境の改善などに寄与する技術のことをいいます。医療や福祉の分野で、エステティックの施術を使って肉体・精神の病気に苦しむ人を癒し、励まし、その人が本来の自分を取り戻すための支援をする活動です。たとえば、激しい体の痛みで何日も休むことができなかった末期の患者様が、さすったりなでたりしているうちにお眠りになったこともあります。また、肺がんで呼吸が苦しそうだった方が、ハンドケアの途中から気持ち良さそうにウトウトされ、ケアが終わって「ありがとう」と頭を下げてくださったという話しも聞きました。ソシオエステティシャンは高度な医療と福祉の知識と経験が求められるほか、社会的、人道的、福祉的道徳を兼ね備えていなければなりません。
フランスではソシオエステティシャンはれっきとした国家資格で、その活動は人間の尊厳にかかわる意味のあるものとして、社会の認知を受けています。
荘司:日本エステティック協会では、2004年8月にフランスのCODES(注記1)と呼ばれるフランス国家が認定するソシオエステティシャン養成機関と契約を締結し、2007年秋からはCODES 認定ソシオエステティシャンの養成プログラムをスタートさせました。
1年半にわたるカリキュラムを通して、精神医学、心理学、終末医療、緩和ケアなど、さまざまな医学の知識を身につけるとともに病院・老健施設での研修や実習も行います。エステティックのケアは患者の身体に触れ、心に近づくものです。医療の及ばない範囲をお手伝いするために、医療とエステティックの協力が大切です。
荘司:日本では、エステティックといえば、痩身や脱毛など、見た目の美しさをととのえるもの、という概念が根づいていますが、本来、エステティックは精神的な安らぎや癒しも提供するものでなくてはなりません。エステティックの持つさまざまな効用や効果は、美容を目的にするだけでなく、もっと社会的に活用させていくべきだと考えます。それによって、現在のエステティックにもたれるイメージや実態を改善し、エステティシャンの社会的認知度や地位を向上させることができるのではないでしょうか。
注記1:Cours d’Esthetique Privé à Option Humanitaire et Sociale = 人道的、社会福祉的エステティック選択講座
百日草着付けコンクールで1位を獲得
荘司:着付けとの出会いは、国際文化学園付属の美容室で勤務していた時でした。ちょうどその頃の私は、美容師の仕事をする中でいろいろな迷いや疑問が出ていた時期。
そんな時に、国際文化学園の前校長である故・武市昌子先生から、美容師としての新たな挑戦として着付けの技術を身につけてはどうか、と勧められたんです。それまで、着物とはまったくと言っていいほど縁がなかったのですが、私が抱えていた迷いや悩みを絶つきっかけになれば、と思い、思い切って、着装の世界では名高い百日草の着付けコンクールに出場することを決意したのです。
そこからは猛勉強の日々でした。毎日、仕事が終ると美容室の床に茣蓙(ござ)を敷いて、徹夜で練習しました。前年度の優勝作品の写真を手本に、襟をつけたり、帯を締めたり。写真と同じ着付けができるようになるまで、何度も練習しました。作品を作り、写真に撮って先生のもとに届けました。2、3日して先生がチェックされ修正すべき点が戻されます。それを参考に作品を作り、また写真を撮って先生にチェックしてもらう、そんな練習を重ねていました。
荘司:コンクールの予選前日に初めて、最初から最後までの工程を先生にチェックしていただきました。でも、すごく緊張してしまって、上手に着付けることができませんでした。先生も『これではだめね』と言われて、途中で帰ってしまわれました。とても悔しかったので、また徹夜で練習して、ボディに着付けをして置き、今までの感謝をこめて手紙を書いて、当日会場に出掛けました。コンクール終了後は、先生に見ていただくために着付けしたモデルさんをそのままタクシーに乗せて帰りました。先生もとても喜んでくださって。その時の出来事は今でも忘れられません。後で発表があり、300人中1位だったことを知りました。
荘司:着物に対する心得が自然と身につきました。そして、その心得は自分自身の生き方にもつながっているのだと思います。たとえば、着物や帯は、自分の一部のように大切に扱うこと。すべてのモノを大切に思うようになります。また、あとで直すのではなく、直す必要がないよう、万全の体勢で臨む準備と覚悟。そういう習慣が身につくと、自然と心までも、ちょっとやそっとのことでは揺るがなくなってきます。着物で歩くときには、おへその下の部分【丹田】を意識して、頭を上から糸で引っ張られているような姿勢ですーっと歩を進めると、きれいに見えます。そういう風な歩き方をしていると、ひとつ芯の通った、引き締まった気持ちを保つことができるようになります。
荘司:それから、着物を美しく着こなすために、私は「楽であること」が一番大切だと思っています。
帯をきつく締めすぎると苦しくなってきて、自分自身の姿勢が崩れてしまいます。ですから、私は拳ひとつ余裕で入るくらい、緩めて帯を締めます。ですが、たとえ着物を着たまま長時間過ごしても、崩れることはありません。つまり、「楽であること」が、「崩れないこと」につながっているんですね。人間は、完璧を求めすぎると苦しくなってきます。100を目指そうとすると、プレッシャーに押しつぶされて失敗したりします。私は、何をするにしても、少し物足りないくらいがちょうどいいのではないかと思っています。少しすき間を作っておくことで、ものごとの流れがよい方向に動く余地ができたりしますから。100ではなく、80くらいに留めておくことで、他の人から助言をいただけたりして、次はもっといいものができたりします。そして、いいものは継続することができます。美しくあるためには信念を持ちながらも受け入れるしなやかさがあることだと思っています。
荘司礼子(しょうじ・れいこ)/島根県生まれ。1989年教育功労賞、2000年厚生大臣賞、2013年東京都優秀技能者(東京マイスター)知事賞を受賞。理美容学校での指導経験とサロンでの総合的な実務経験を生かし、着付の現場に即した「早くて美しく、着くずれしない着付」を構築・提唱、後進の育成に務める。