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“人財力”で世界と戦う!アルテサロンHD吉原CEOが説く日本美容の未来戦略

教師志望から美容業界へ転身:バックパッカー経験が切り拓いた新たな夢

花上:吉原さんは首都圏を中心とする美容室チェーン「HAIR MAKE Ash」の創業者で、現在では複数の美容室チェーンを束ねる株式会社アルテサロンホールディングスの代表取締役会長 CEOとしてご活躍されていらっしゃいますね。
このインタビューでは吉原さんがどのように美容業界に入られて、どんな風にその道を歩まれてこられたか、お伺いさせていただければと思います。
どうぞ宜しくお願いいたします。

吉原:宜しくお願いいたします。

花上:大学時代は教育学部に在学されていたそうですね。
当時の夢は教師になることだったとか。

吉原:昭和30年代に生まれた私たちが育ったのは、ちょうど日本が高度経済成長期真っ只中の時代。小学生の時に東京オリンピックが、中学生の時に日本万国博覧会が開催されました。日本経済は絶頂期で、世の中全体がエネルギッシュな雰囲気。夢や希望にあふれていました。

一般家庭にテレビがやってきたのもその頃で、私は中学生の時にはスポ根系の青春ドラマに夢中になりました。
教師がラグビーなどのスポーツを通じて不良生徒を更生させていく…というような役柄の竜雷太さんや夏木陽介さんたちに憧れたものです。私自身が剣道をしていたこともあり、そういった類のドラマに刺激されて「いつか、あんな素晴らしい先生になりたい」と思うようになりました。
そのような経緯で、大学は教育学部を受験したんです。

花上:そこから、どういったきっかけがあって美容業界に足を踏み入れられたのでしょうか。

吉原:教師になる夢を追って大学では教職免許を取り、小学校での教育実習も経験しました。
でも、実際に教育の現場を見てみると、私が思い描いていた世界とはなんだか違う…。ドラマで見たような教師にはなれそうにないと思いました。

その時、ちょうど若者たちの間でバックパックを背負って海外を放浪旅する「バックパッカー」が流行していて、私もイギリスやイタリアなどを周りました。
そんな中で、漠然と“海外で働いてみたい”という新たな希望が芽生え、海外展開を積極的に行っていた企業を中心に就職活動をすることにしたのです。その結果、ご縁があってタカラベルモントに入社しました。

花上:美容には興味があったんですか?

吉原:正直、美容には無縁でした(笑)。
当時はまだまだ男性が美容室に行く習慣がありませんでしたから、美容室=女性の世界というイメージで…。ですから、始めは戸惑いました。
お店に入ることすら恥ずかしかったくらいです。

でも、面白いと思ったのは、美容業界は学歴が要らない世界だということです。
普通の会社では四年制大学を出たほうが優遇されますが、美容業界ではそれがハンデになる。大学を卒業した22歳で私は業界1年生になりましたが、中学を卒業してすぐに美容師になった人はその歳ですでに6年生。25、6歳になればキャリア10年になりますから、経営者になる人もいれば年収1000万円を超える人もいました。
私が給料11万円か12万円の時に、彼らはその何倍も稼いでいたんです。実力次第でどうにでもなる世界なんだな、と思いました。

花上:タカラベルモントではどのようなお仕事をされていたのでしょうか。

吉原:美容室に美容機器を販売したり、新店舗の立ち上げのお手伝いをしたりしていました。
入社3年目には海外勤務希望者のための試験があるので、それを目指して一生懸命働きました。そして25歳の時にはトップセールスマンに。
営業成績も残すことができて“さぁ、これでいよいよ海外に行くことができる!”と思っていたのですが、残念なことに試験に落ちてしまったのです。
“海外に行けるチャンスがないのなら、自分で行くしかない”と思って、会社を辞めて自費でニューヨークに留学することを決意しました。

花上:海外に行きたいという想いがよほど強かったのですね。

吉原:はい。
その時、私は200万円…今でいうと450万円くらいの貯金を持っていましたから、そのお金を使って留学しようと考えていたんです。
でも、ある人に貸したが最後…、そのお金が戻ってくることはありませんでした。
ニューヨークへ行けず、一文無しになってしまい、これはどうしたものかと途方に暮れていた矢先に、ある美容関連の会社の社長が声をかけてくれました。
「教育学部を出ているのなら、うちの会社で美容室のマネージャーをやらないか」と誘っていただいたんです。

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花上:転職された会社ではどのようなお仕事をされていたのでしょうか?

吉原:転職したのは26歳の時。
美容室チェーンを展開している会社で私は美容室のマネージャーの仕事を任されました。
課せられたミッションは、“既存店舗の運営を軌道に乗せること”。それまで新規店舗立ち上げのお手伝いはしてきましたが、運営までを見るのは初めての経験。

それは思いのほか大変な仕事でした。
なぜなら私が配属された美容室には元・暴走族や不良上がりの子たちが多くいて、牙をむくような空気感が漂う環境だったからです。
私は彼らのやる気を出すために、積極的にコミュニケーションを取ったり、有名美容師を講師に招いて講習会をしてもらったり、コンテストへの出場を勧めてみたりと、いろいろな施策を続けました。

すると次第に店舗全体の志気が上がってきて、売り上げも少しずつ伸びていきました。
3~4年かけて徐々に軌道修正していったわけですが、その状況は奇しくも、まるでかつて私が憧れていた青春ドラマのようでした。
生徒を更生させていく教師のような感じで美容師たちのマインドを高めていったのです。

花上:その後、吉原さんは28歳のときに美容師免許取得の勉強を始められたそうですが、何かきっかけがあったのでしょうか?

吉原:コンテストへの出場を重ねる中で、ある美容師がチャンピオンになりました。
それを機にスタッフ全員のモチベーションが急上昇。他の大会でも次々に入賞者が出たりして、非常にいい状態になってきました。

しかし、彼らが技術者として自信をつけていくにつれて、今度は技術者ではない私が軽く見られるようになりました。
そのような状況に歯ぎしりをおぼえ28歳で一念発起し、通信制の美容学校に通い始めました。
そして卒業する頃には自分のお店を持ちたいという想いが強くなっていたので、思い切って独立することを決意。
1986年8月、横浜の大口という場所で最初のお店をオープンしました。30歳のことでした。

花上:「HAIR MAKE Ash」の原点となったお店ですね?
どんなお美容室だったんですか?

吉原:駄菓子屋の2階にある、家賃8万5000円、たった10坪の小さなお店でした。
セット面は4席。
古い建物で美容室らしからぬ佇まいでした。はじめは集客のために、料金は非常に安く設定しました。まずは安さでお客様を取り込んで、徐々に指名が取れるようになってきた頃から、少しずつ値上げをしてブランディングを図ったのです。

花上:料金を一度設定したら、なかなか変更することは難しいように思いますが。

吉原:考え方によるのではないでしょうか。私はタカラベルモント時代からピンからキリまでさまざまな美容室を見てきました。
料金設定の仕方もいろいろ目にしてきました。そのような中で感じたのは、まずは“お客様に体験してもらうことが大事”ということ。

多くの美容室では初めから高めの料金に設定していることが多いですが、それは往々にしてプライドの表れであり、お客様の視点には立っていないように感じました。
とくに開業して間もない時には自分の力でお客様を集めようと思っても限界がありますから、極論を言うならばタダでもいいから体験していただいて価値を示すことが大事だと思うのです。
お客様がお店の技術やサービスに納得して、価値があると判断すれば、お金を払ってでも指名してくださるようになるのですから。

花上:「お客様の視点に立つ」ということがポイントですね。

吉原:はい。「プロとしての視点」はもちろん大事ですが、偏りすぎると経営の面からすれば邪魔になることが多いんです。
お金を払ってくださる「お客様の視点」に立つことはもとより、業界から離れた「客観的視点」を持つことも大切だと思います。
“他のお店ではどれくらいの技術・サービスをどれくらいの料金で提供しているのか?”を、身をもって体験してみたり、いろいろな業界の情報を調べて、自分のいる業界の立ち位置を俯瞰してみたりすることも有意義ではないでしょうか。

花上:つねにいろいろなポジションに立って自分のいる場所を確認することが大事ですね。

“人財力”で差をつける日本美容:教育×おもてなし精神が生む付加価値

花上:吉原さんはご自身の著書『「世界で戦える日本」をつくる新発想』(幻冬舎)の中で、美容師をはじめとする日本の職人たちが秘める「高い技術力」とこまやかな「おもてなし精神」は、世界に対して誇れる強みである、と説いていらっしゃいますね。
本の中では上記の2つの能力を「人財力」と称されていますが、吉原さんは「人財力」に対して具体的にどのような可能性を感じていらっしゃいますか?

吉原:日本は長い間、“ものづくり”で栄えてきた歴史がありますね。
小さいものは半導体から、自動車や新幹線、原子力発電所に至るまで、その技術の高さを世界に示してきました。しかし、今や世界中で技術が共有され、同じモノが作れるようになってきています。
ともすると、安く人を雇える中国やベトナムに工場を造ろう、というのも自然な流れ。結局人件費の問題に帰着してしまうのです。

そうした中で、他国に簡単に真似のできない日本の独自性は何か?を考えると、それは日本の“匠の精神”が育んだ「人財力」だと考えます。
見た目が同じ完成品でも、日本の職人たちが作ったモノには、日本という固有の風土が育んだおもてなし精神、そして丁寧な仕事ぶりがたっぷりと詰め込まれています。
「一流の職人を尊敬してやまない心」や「腕を上げることに何よりも情熱を燃やすポテンシャルの高さ」、「お客様をもっと喜ばせたい、というサービス精神」、「いらっしゃいませ、と笑顔で迎える接客」などの人財力が注ぎ込まれ、品質にプラスアルファの付加価値を与えているのです。

私が生きてきた美容業界もまさに人財力で成長してきた世界です。
実際、日本の美容サービスは世界でも有数の高い評価を得ていますし、今後はさらに世界へと飛躍する大きな潜在能力を持っていると思います。
これからは技術力だけでなく「人財力」を世界にアピールしていくことで日本の競争力をより高めていくことができるのではないかと考えています。

花上:「人財力」を高め、維持するためにはやはり教育が大事になってきますよね?

吉原:おっしゃる通りです。
私は、夢の原点が教育だったこともあり、経営の本質は教育であると思っています。
実際にこれまでたくさんの美容室を見てきましたが、いくら一流のお店であっても、教育を怠れば必ずレベルは落ちます。

反対に、着実にスタッフを教育していれば必ずレベルの高い美容室へと変化します。
美容室のみならず、エステやネイル,リラクゼーションなども、人がいなければ成り立たない世界ですよね。
オートシャンプーは機械として便利だけれど、かゆいところまでは判断してくれない。いくらテクノロジーが進歩しても人の手にはかなわないということです。

とにかく、美容業界では人財力で勝負するしかないんですね。
だからこそ、教育システムをしっかりと確立してスタッフ一人ひとりの意識を高めることが大事。
ゆとり教育の時代になって「ナンバーワンにならなくていい。オンリーワンになればいい」という考え方が広まっていますが、私はプロフェッショナルたる人、ナンバーワンを目指さなければモチベーションが上がらないと思っています。
現状に甘んじることなく、つねにレベルアップを目指して、どんどん進化していって欲しいですね。

花上:ありがとうございます。今回のインタビューを通じて吉原さんのアグレッシブな魅力をひしひしと感じ、美容業界に革新をもたらしてこられた理由がわかったような気がしました。
これからのますますのご活躍を、お祈りしています。

吉原直樹(よしはら・なおき)/1978年埼玉大学教育学部卒業。2014年中央大学MBA(経営学修士)取得。1978年タカラベルモントに入社。1981年美容室チェーンに転職し、店舗開発、店舗運営を手がける。28歳で自らも美容師免許を取得するため、美容学校に入学。31歳で美容師免許を取得。1986年個人事業主として横浜市に美容室を開業、88年に有限会社アルテを設立。2024年4月グループ経営効率化のため、親会社である株式会社ジェネシスと合併し、「株式会社アルテジェネシス」へ商号変更。

ヌーヴェル日本版(LNE)公式サイトwith美容経済新聞 2025年6月正式リリース!

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