連日、命に関わるような酷暑が続く日本の夏。建設現場や工場などの屋外作業環境では、熱中症対策が死活問題となっています。こまめな水分補給や空調服の導入など、さまざまな対策が講じられていますが、それでも熱中症による労働災害は後を絶ちません。
そんな中、今夏の建設業界で急速に注目を集めている熱中症対策ツールがあります。
それが、大手化粧品メーカー「ポーラ(POLA)」のグループ企業であるポーラ化成工業が開発し、グループのポーラメディカルが提供する暑熱対策AIカメラ「カオカラ(kaokara)」です。
なぜ、美しさを追求する化粧品メーカーの技術が、ヘルスケアや建設現場といった、一見すると対極にあるようなタフな現場で「命を救うツール」として選ばれているのでしょうか。その裏側には、長年のスキンケア研究がもたらした高度なAIテクノロジーと、深刻化する労働環境の課題を解決するビジネス戦略がありました。
肌研究から生まれた「自律神経と体調の可視化」

ポーラ化成工業は、長年にわたり「美肌と心身健康の関係性」を科学的に研究してきました。その過程で蓄積されたのが、「顔の微細な変化から、体内のコンディションや自律神経の状態を読み取る」という高度な画像解析技術です。
もともとは、店舗で顧客に最適なスキンケアを提案するための肌分析ツールとして開発されたAI技術でした。しかし研究を進める中で、この技術が「熱中症リスクの判定」に極めて有効であることが判明したのです。
熱中症の初期段階では、本人が喉の渇きや体調不良を自覚する前に、自律神経の乱れによって顔の血流や皮膚温度、細かな表情筋の緊張度に変化が現れます。
ポーラのAIは、タブレットやスマートフォンのカメラで顔をわずか数秒スキャンするだけで、これらの人間の目では気づけない微細な変化を検知します。そして、対象者の「熱中症リスク」を即座に数値化・判定するのです。
建設会社が導入する「隠れ熱中症」を3秒で防ぐ仕組み

この画期的な技術をいち早く現場に導入し、実証実験を進めているのが、大手総合建設会社の安藤ハザマ(株式会社安藤・間)です。
安藤ハザマは、シンガポールなどの過酷な暑さを伴う海外建設現場において、ポーラメディカルの「カオカラ」を用いた実証試験を実施。さらに、現場で広く使われているビジネスチャット「direct」とシステムを連携させました。これにより、AIカメラが「熱中症リスク:高」と判定した作業員を検知すると、自動的に本人や安全管理者にチャットで熱中症アラートが通知される仕組みを共同開発しています。
このシステムが現場で重宝されている最大の理由は、その「圧倒的な手軽さ」にあります。従来の現場での体調管理には、以下のような大きな弱点がありました。
- 自己申告の限界: 職人気質の強い現場や忙しい状況下では、「これくらいなら大丈夫」「自分が抜けると現場に迷惑がかかる」と、体調不良を隠して無理をしてしまう。
- 運用のハードルの高さ: ウェアラブルデバイス(腕時計型の心拍計など)を全員に配って装着させるのは、導入コストや充電の手間、現場作業時の邪魔になるなどの観点から普及が難しい。
ポーラの顔解析AIであれば、作業員が朝のミーティング時や休憩室に入る際、設置されたタブレットに「顔を3秒かざすだけ」で測定が完了します。デバイスを身につける必要も、煩わしいアンケートに答える必要もありません。本人すら自覚していない、あるいは言い出せない「隠れ熱中症」を、客観的なデータに基づいて未然に防ぐことが可能になりました。
経済効果|美容メーカーが挑む「非美容領域(BtoB)」の新市場
この技術の普及は、ポーラ・オルビスグループにとっても、きわめて大きな経済的メリットと成長戦略をもたらしています。
① BtoCからBtoBへ:技術のライフタイムバリュー最大化
化粧品メーカーの主な収益源は、一般消費者向けの化粧品販売(BtoC)です。しかし、少子高齢化が進む日本国内において、化粧品市場だけで劇的な右肩上がりの成長を続けるのは容易ではありません。 自社で開発したAIアルゴリズムを「産業安全用システム」として他業界の企業(BtoB)にライセンス提供・販売することで、従来の美容の枠を超えた新しいストック型の収益源(システム利用料など)を確立することに成功しました。
② 建設業界が抱える「人手不足と安全コスト」の解決
建設業界では、労働基準法の改正に伴う「2024年問題」や、若手不足による高齢化が深刻です。現場で熱中症による重大な労働災害が発生した場合、現場の稼働停止や企業イメージの大幅な失墜など、莫大な経済的損失が発生します。 ポーラのAIツールを導入することで、安全管理者の負担を最小限に抑えつつ、労働環境の安全性をアピールでき、結果として人材採用や企業の信頼性向上という大きな経済リターンに繋がっています。
先行予測|美容×ウェルネスの境界線が消える未来

ポーラの事例が示すのは、「美しさを測定する技術」と「健康・命を守る技術」の境界線が完全に消失しつつあるという未来予測です。2030年に向けて、AIによる顔解析技術は、熱中症対策だけにとどまらず、以下のような分野へさらに応用されていくと考えられます。
- スマートミラーの普及: 自宅の洗面台の鏡(スマートミラー)にAIが搭載され、毎朝歯を磨く間に「肌のコンディション」と「当日の自律神経バランス」を同時に測定。その日のスキンケアだけでなく、おすすめのサプリメントや、その日のタスク量までAIが提案してくれる時代が到来します。
- ヘルスケア業界への本格参入: 美容医療や予防医学の分野において、AIの顔解析データと遺伝子データを掛け合わせ、個人に最適化された長寿(ロンジェビティ)プログラムが提供されるようになります。
結び|美のテクノロジーが社会インフラを支える時代
かつて「美しくなるためのもの」だった美容テクノロジーは、AIの進化によって「人々の安全と健康的な暮らしを支える社会インフラ」へとその姿を変えつつあります。
ポーラ化成工業の顔解析AIが建設現場を救っているという事実は、日本の優れた技術が業界の壁を越えてイノベーションを起こせることの証明です。猛暑が年々厳しさを増す現代において、この「おうち美容から社会の安全までをシームレスに繋ぐAI」の動きから、今後も目が離せません。
情報元Webページ・参照リンク
- ポーラ化成工業株式会社(技術開発元) 「暑熱対策 AI カメラ 『第 9 回 東京猛暑対策展』に出展」(開発背景や製品「カオカラ」の特徴について記載されたPDF) https://www.pola-rm.co.jp/pdf/release_20230720.pdf (アクセス日:2026年7月16日)
- 安藤ハザマ(導入・実証事例) 「安藤ハザマとポーラメディカル、暑熱対策AIカメラ『カオカラ』を用いた海外建設現場での実証と『direct』連携によるチャット通知機能を開発」(建設現場における実用化と具体的な運用について記載された公式リリース) https://www.ad-hzm.co.jp/info/2025/20250701.php (アクセス日:2026年7月16日)
- ポーラ・オルビスホールディングス(グループ公式) 「暑熱対策AIの社会実証試験へ 建設現場においての有用性検証で建設事業者の連携先を募集」(建設現場での実証実験開始時の詳細なニュースリリースPDF) https://ir.po-holdings.co.jp/news/news/news-7273735601273491569/main/0/link/20230201_AI_s.pdf (アクセス日:2026年7月16日)
