株式会社不二ビューティ 代表取締役たかの友梨さん

インタビュー

監修:美容経済新聞

しがらみのないゼロやマイナスからの出発は可能性が無限大にあるもの

群馬の小さな理髪店で住み込みで働き始め、定時制高校に通っていたとはいえ、いわゆる普通の学歴コースとは別の道を歩んできた私が成功を収めることができたのは、学歴に頼ることがなかったからです。

もっとも、頼りたくても勉強したくても、経済的に大学へ通えなっかった事情もありました。

「学歴が無いから腕一本で生きていけるようになろう」
「失なうものがないから前に進むしかない」
「学歴のある人と同じ事をしていても日本一になれない」
という気持ちがあったからなのだと思います。
学歴に縛られない、しがらみのないゼロからの出発はチャンスが無限大にあるということなのです。

再びニキビが人生を変えた
パリ修業時代に出会った美顔器『ヴィッキー』が大ヒット

固い決心で理容師の道に入り、そこから美容の道へ。
現在のポジションを確率するまでにも大きな困難や壁があったと思われます。

8ヶ月で終わりを告げた、パリ修行時代。
それでもエステティックは夢の世界でした。
しかし、パリから帰国してすぐにエステの仕事には取りかかりませんでした。
日本にはまだエステを受け入れる土壌がなかったことと、パリ留学にありったけの財産をつぎ込んでしまって、蓄えもなかったのです。
かといって何か仕事をしなければ生活できません。

そこで始めたのが、ある小さなビジネスでした。
私の長年の悩みの種だった、ニキビがきれいに治った美顔器を、パリから持ち帰っていたのです。
私は生活のために、この美顔器を家庭用に改良して売ろうと思いました。
パリで学んだ「引き算の美容法」をコンセプトにした美顔器「ヴィッキー」の誕生です。
週刊誌を使って広告も展開し、かなりの売上をあげましたね。

そして、更なるチャンスが微笑みかけました。
コーセー化粧品が店頭でのお客様へのサービス用にと3,000台を店頭に設置することを決めたのです。
それをきっかけに大ヒット商品になりました。

たかの友梨02

最初はお客さんが来なかった
それでもポジティブな気持ちを持ち、明日は明日の風が吹くと信じていた

ヴィッキーの大ヒットがもたらした影響はどんなものでしたか。

ヴィッキー時代は4年続きました。
今振り返っても無我夢中でした。
小さな成功は手に入れたものの「日本でエステサロンを開きたい」という夢はまだ叶っていません。

30歳までになんとかしたい。
暗中模索する日々の中、ついに『たかの友梨ビューティクリニック』第1号店を新大久保にオープンすることができました。
しかし、希望に満ちてオープンしたものの、1ヶ月たっても、2ヶ月たってもお客様が来てくださいません。
でも私は不安になることありませんでしたね。
だめだったら別の方向で成功してみせる。
というポジティブな気持ちでいたからです。

たとえ苦しい状況下でも「明日は明日の風が吹く」といえる力強さが失敗を乗り越える一番の方法だと思います。

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たかの友梨 Yuri Takano

Profile
株式会社不二ビューティ(たかの友梨ビューティクリニック) 代表取締役
たかの友梨エステティックアカデミー 学院長
美容家

美のプロフェッショナルとして幅広く活動している美容家。
自身が創業したたかの友梨ビューティクリニックは、現在、123店舗を展開する業界トップクラスのエステティックサロンとして幅広く知られ、従業員数も1,120名を数える。
『運が悪くってよかった!』(IN通信社)など、著書も多数。

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