株式会社不二ビューティ 代表取締役会長 たかの友梨さん
挑戦と変革を経て、美容の世界で成功を収めるまでの波乱万丈な歩みをご紹介します。
努力はすればするだけ自分が前に進んでいくもの
16歳のとき、群馬の小さな理容店で住み込みで働き始めたのが、私の仕事人生のスタートです。
定時制高校に通いながら、学業との両立をし、技術の習得に明け暮れる日々。学校から戻り、眠いのも忘れ、毎晩、練習に励みました。
当時、職人は上下関係も厳しくて、先輩や同僚からは学校に通ってるというだけで、今で言うイジメの対象でした。仕事で辛いことはなかったけどイジメは辛かったです。仕事は楽しくて充実してました。何より腕に力をつけていく実感が嬉しかった。
そのとき学んだことが「人間、努力すればするだけ自分が前に進んでいく」ということ。人の2倍も3倍も努力しました。
人と同じことはやらない自分なりの工夫が必要
上京したのは20歳のときでした。抱えきれないほどの大きな夢を膨らませ上野行きの列車に乗っていました。
上京後、東京での理容師生活が続くある日、これからは男性も長髪を楽しむ時代になる。さらに理容師の世界は男性社会で限界も感じていた頃でした。美容師資格を取得しようと思いました。ただし美容師になって美容院を経営しようは思わなかったですね。男性用の美容院を作ればいい。人と同じことをやってもダメ。どこか自分なりの工夫をしなければという思いをそのころから持っていました。
「思ったことをすぐに行動に移す」のは私の得意とするところです。
美容学校の通信教育科に入学し勉強をはじめました。通信教育期間は2年間。最終過程で1ヶ月間、スクーリングに参加する必要があります。そのため、理髪店を1ヶ月休まなくてはなりませんでした。
そこで、店主に相談したところ……答えはNOでした。私の決断は早かったです。慣れた職場を辞め、美容師免許を取ることを選択。私にとって店を辞めることは大きなチャンスに繋がりました。
ニキビに悩んだことが人生を変えた
ある日、電車の窓に映る自分の顔に愕然としました。目の下はクマ、そしてニキビだらけの顔……昼も働き、夜は皿洗いのバイト。さらに家に帰ったら美容師免許を取るための勉強。人生二毛作という考えで昼・夜を使い分け、24時間、最大限に使おうと……いくら若くても限界を超えていました。そのツケがこの顔だ。ニキビに悩み、何とか治したい。
そこで化粧品店に足しげく通い、ひらめいたことは……ビューティーアドバイザーになれば化粧品も使えるし、美容知識も身につくはず。
そして、ある外資系化粧品会社のビューティーアドバイザーに採用されました。
理容師から、ビューティーアドバイザーに……人生観も変わっていました。
技術が一番だった職人から、美意識も磨かれ、周りの人たちも変わっていく。成功哲学も自然と学んでいました。成功者たちはそれぞれ、独自の発想で時代をつかんでいる。
そのころ読んだ本が、マクドナルドを日本に導入した藤田田氏の「ユダヤの商法」。『女と口を狙え!』というフレーズがあり、女性相手と食べ物の商売は必ずあたるという主旨のことが書いてありました。
人生観まで変えてしまったビューティーアドバイザーの仕事でしたが、相変わらずニキビには、悩まされていました。あらゆる情報の中で本物の技術を知りたい……
そんなある日新聞で「パリでエステティックサロンが大流行」という記事を目にしました。その瞬間、「これだ!」と確信。
女性をきれいにする仕事、そして、技術を行えること。世界最先端の美容法をいち早く日本に持ち込むこと。何もかもが、私が目指しているものと合致していました。
結果論になるけれど、私が成功できた理由のひとつは私自身が根っからの技術者だったこと。そしていつもプラス思考で物事を捉え、直ぐに行動に移していました。
ふり返れば、私の人生は常にそうでした。
しがらみのないゼロやマイナスからの出発は可能性が無限大にあるもの
群馬の小さな理髪店で住み込みで働き始め、定時制高校に通っていたとはいえ、いわゆる普通の学歴コースとは別の道を歩んできた私が成功を収めることができたのは、学歴に頼ることがなかったからです。
もっとも、頼りたくても勉強したくても、経済的に大学へ通えなっかった事情もありました。
「学歴が無いから腕一本で生きていけるようになろう」「失なうものがないから前に進むしかない」「学歴のある人と同じ事をしていても日本一になれない」という気持ちがあったからなのだと思います。学歴に縛られない、しがらみのないゼロからの出発はチャンスが無限大にあるということなのです。
再びニキビが人生を変えたパリ修業時代に出会った美顔器『ヴィッキー』が大ヒット
固い決心で理容師の道に入り、そこから美容の道へ。現在のポジションを確率するまでにも大きな困難や壁があったと思われます。
8ヶ月で終わりを告げた、パリ修行時代。それでもエステティックは夢の世界でした。しかし、パリから帰国してすぐにエステの仕事には取りかかりませんでした。日本にはまだエステを受け入れる土壌がなかったことと、パリ留学にありったけの財産をつぎ込んでしまって、蓄えもなかったのです。かといって何か仕事をしなければ生活できません。
そこで始めたのが、ある小さなビジネスでした。私の長年の悩みの種だった、ニキビがきれいに治った美顔器を、パリから持ち帰っていたのです。私は生活のために、この美顔器を家庭用に改良して売ろうと思いました。パリで学んだ「引き算の美容法」をコンセプトにした美顔器「ヴィッキー」の誕生です。週刊誌を使って広告も展開し、かなりの売上をあげましたね。
そして、更なるチャンスが微笑みかけました。コーセー化粧品が店頭でのお客様へのサービス用にと3,000台を店頭に設置することを決めたのです。それをきっかけに大ヒット商品になりました。
最初はお客さんが来なかったそれでもポジティブな気持ちを持ち、明日は明日の風が吹くと信じていた
ヴィッキー時代は4年続きました。今振り返っても無我夢中でした。小さな成功は手に入れたものの「日本でエステサロンを開きたい」という夢はまだ叶っていません。
30歳までになんとかしたい。暗中模索する日々の中、ついに『たかの友梨ビューティクリニック』第1号店を新大久保にオープンすることができました。しかし、希望に満ちてオープンしたものの、1ヶ月たっても、2ヶ月たってもお客様が来てくださいません。でも私は不安になることありませんでしたね。だめだったら別の方向で成功してみせる。というポジティブな気持ちでいたからです。
たとえ苦しい状況下でも「明日は明日の風が吹く」といえる力強さが失敗を乗り越える一番の方法だと思います。
欲を求めるより、夢を追いかけるほうが、何倍も素敵なこと
「魅は与によって生じ、求によって減ず」これは、思想家・無能唱元氏のおしゃった言葉で、私の座右の銘でもあります。人の魅力は、与えるものが多ければ多いほど増え、求めようとすればするほど、反対に減ってしまうという意味です。
私はお金も知識もどんどん人に与えていきたいと思っています。若い経営者たちやこれから経営者を目指す若い女性にも私の人生を参考にしていただいて、素敵な人生を歩んで欲しいと思ったから、こうして今回の取材もお受けしました。
そして自分は、求めるものはほんの少しでありたいと思っています。欲や見返りばかりを求めると、つまらない人生になってしまうからです。人は自分だけの力で成功することはできないものでしょう?成功したら、自らの財や知識をオープンにして誰かに与えることで、いっそう成功者としての魅力が増すものだと思います。
まだ成功体験のない方は、人に与えるまですることはなくても、せめてギブ&テイクは実践してほしいですね。
自立は女性にとっていちばん大事なこと
私は日本では数少ない女性経営者のひとりだそうです。
女性経営者は4%で、さらに、私のように一代で会社を築いたのは、かなり稀なケースのようです。
紆余曲折があり大変でしたが、私は今、とても幸せです。
なぜなら私の成功は、誰かにもらったものではなく、まぎれもなく、自分の力で得たものだからです。
女性にとって本当に大事なのは、「自立」だと思います。
自立というのは、ライフワークを持っていること。
そして経済的にも自立していることです。
では具体的に女性が自立するために必要不可欠な要素をお話しましょう。
1.美人でなくチャーミングであること。
人の心を惹きつける内面からあふれる魅力があること。
2.GNP を重視。
G は義理。N は人情。P はプレゼント。このプレゼントは品物を贈るという以外にお世話になった人にお手紙や、メール、電話を返すということです。あるいはいつも笑顔を忘れないのも大切なことですね。
3.スペシャリティを持つ。
何かひとつ得意分野を持ちましょう。
4.性の自立。
3つは持っていても、男性に依存する性格では、自分の意思とは、別のところで、夢が絶たれてしまう可能性がありますね。
「鐘の鳴る丘」は私の人生の目標
前橋市にある児童養福祉施設「鐘の鳴る丘 少年の家」。ここは、家庭の事情などが理由で、親と暮らせない子供たちを預かる施設です。私がこの施設と出会ったのは、もう50年も前になります。生きる気力を失った私の母が子供たちを預けて寮母として働きたいと頼みにいったことがきっかけでした。
そのとき、園長先生が、「ここは親のない子供のための施設で母子を預かるわけにはいかない。あなたは若いのだから、ほかでいくらでも働ける。頑張って働きなさい」と勇気づけてくださいました。
それ以来「鐘の鳴る丘少年の家」は私たち親子にとって、心のよりどころとなりました。
そんなご縁があって、ここ数年来、後援会長として、物心両面のサポートをさせていただいています。これは、「魅は与によって生じ、求によって減ず」の精神に基づいていることでもあります。
でもそれだけではありません。私にとって働く目標でもあるんです。苦しい時代があったからこそ今がある。
かつて自分が支えてもらったように、今度は私が子供たちを支えたい。そのために頑張って働こうと思えるのです。
誰かのために生きることや、働くことが、自分がビジネスや事業で成功する鍵であり、大切なことです。数字だけでは表せない自分だけの目標を心の中に設定してみてください。あなたの宝物となって、あなたを成長させてくれるはずです。
たかの友梨(たかの・ゆり)/たかの友梨ビューティクリニック代表、美容家。全国に直営店を展開。一般社団法人エステティックセラピスト協会会長、厚生労働大臣指定学校法人たかの友梨学園たかの友梨美容専門学校理事長、日本肥満学会員、ミス・ユニバース審査員。