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トニータナカが明かす “HOLISTIC BEAUTY”誕生秘話|40年の美容業界キャリア

花上:トニータナカさんといえば、国内のみならず海外でも有名なメイクアップアーティストとして、美容業界では言わずと知れた存在ですね。今回はトニーさんがどのように美容業界に入られて、その道を歩まれてこられたか、お伺いさせていただければと思います。よろしくお願いいたします。

トニー:ありがとうございます。どうぞよろしくお願いいたします。

花上:トニーさんは40年以上という長い美容業界でのご経歴のなかでも、とくにハリウッド映画でのご活躍で、日本でその名を轟かせました。そもそも、どのようなきっかけで美容業界に足を踏み入れられたのでしょうか。

トニー:僕は終戦直後の1948年に経堂で生まれました。大きな豪農がありまして、一家はそこの片隅を借りて暮らしていました。周囲は見渡す限りの畑と野原がつづき、僕はそこをターザンのように駆け回っていた野性的な子どもでした。その当時の日本女性の格好と言えば、モンペか着物に、ひっつめ髪。敗戦後の日本は、そのように素朴で質素な暮らしが根付いていました。

あるとき、在日米軍の将校クラブで通訳をしていた叔父に連れられ米軍立川基地に遊びに行きました。ご存知のように、在日米軍基地の地籍は米国にあって、基地の中に一歩入ればアメリカの生活文化が広がっています。僕が5歳にしてその立川基地を訪れたとき、当時の日本では考えられない光景を目にして、とてつもない衝撃を受けました。将校たちは、のちに日本で一大ブームを起こすVANジャケットなどのアイビールックファッションを着こなして、ハンバーガーやローストビーフを食べていました。僕は、生まれて初めてコカ・コーラを飲みました。敗戦国である日本の景色とは180度対局的な、アメリカの豊かさと繁栄に満ちた光景が広がっていたのです。

花上:敗戦直後の日本と比べると、さぞ華やかな世界だったのでしょうね。

トニー:それはそれは華やかでした。立川基地の中には、将校クラブの婦人たちが通う「ヘレン」という美容室がありました。そこにはレブロンのメイクアップアーティストがいて、メイクをしたり、ヘアセットをしたり、ネイルをしたりしていました。婦人たちはゆるやかなウェーブのかかったブロンドヘアに真っ赤な口紅とマニキュア。シャネルスーツのような服をかっちり着込んでいて。そのようなアメリカ人女性の姿は、僕にさらなる衝撃を与えました。その瞬間がきっかけでこの世界に入ろうと決めました。

花上:5歳のとき、すでに美容業界に進もう、と決意されたわけですか。

トニー:そう。5歳でアメリカの文化に触れて、愕然としたとともに「日本の未来はこうなるんだ」と、想像しました。僕は子どもの頃から未来を見る力、俯瞰力が優れていたんです。僕があのときに見た光景は「日本の未来」だった。それが直感的にわかったんです。真っ赤な爪や唇を携えたウェーブヘアの女性たちを見て、数十年後の日本の女性はこうなる、と。だから、僕は美容にとても興味を持ち、どんどんのめりこんでいきました。ちょうど小学校に入った頃には、地元の経堂に「ヒロ美容院」という美容室ができました。僕はそこにずっと入り浸って、お店のお手伝いをしていました。そのうちに、シャンプーの秘技を覚えまして。10歳のときにはすでに、シャンプーの指名客が何十人もいたんですよ。

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花上:10歳で、ですか?!想像以上に長いご経歴をお持ちなんですね。その頃ですと美容室は一般的なものではなく、ある程度のステータスのある人しか通えなかったのでは?

トニー:そうですね。「ヒロ美容室」には俳優のご婦人方や、今でいうセレブリティな方々がたくさんいらっしゃっていました。

花上:そのような方たちの施術をお手伝いされていたわけですね。幼少期の後もずっと、美容の道に?

トニー:高校時代は夜間の美容学校に通うと同時に、当時、「夜のヒットスタジオ」などの有名番組を立ち上げた構成作家の塚田茂さんの家に出入りしていまして。そして日劇や銀巴里に出入りするようになりました。また、そのころのアメリカのテレビや映画にも傾倒していました。最も触発されたのは、1939年に公開された『オズの魔法使』。この映画で、チャールズ・シュラムさんというメイクアップアーティストが手がけた、かかしやブリキ男、臆病なライオンなどの特殊メイクは、とても斬新なものでした。そのようなできごとが重なって、僕はエンターテインメントの世界に出会っていきました。

花上:幼少期から高校時代まで、ディープな経験をされてきたのですね。しかし、そのような環境の中にいたら、俳優や歌手など、表舞台のほうに立ちたくなるのでは?

トニー:かつては俳優のオーディションへのオファーもありましたが、僕の興味は、もっぱら“裏方”の世界。だから、とことん美容の世界を究めていきました。美容学校を卒業すると同時に、僕は植村秀先生の所に弟子入りを申し出ました。そこから本格的なメイクアップの修業を積み、1969年、21歳のときにワーナーブラザーズの日英米合作映画『マスターマインド』でメイクアップアーティストとしてデビューしました。

ハリウッド直伝メソッド×ホリスティック医療

花上:1969年にマルカムスチュアートプロダクション制作の日英米合作映画『マスターマインド』でメイクアップアーティストとしてのデビュー後はどのようなプロセスを踏んでこられたのでしょうか?

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トニー:その後、本場ハリウッドでビューティメイクとスペシャルメイクを経験。現在の日本のメイクアップ界に大きな影響を与えているウエストモア・ファミリーに師事し、メイクアップメソッドを学びました。帰国後は映画だけでなくTV・雑誌・CFなど、さまざまなメディアのメイクを担当。メイクを通じてドラマ創世記を見てきましたし、その頃、全盛期だったバラエティ番組も担当しました。また、いろいろな番組を渡り歩く中で僕自身のキャラクターにも注目されて、テレビの表舞台にも立ちました。お昼の情報番組の司会ですとか、バラエティなど、レギュラーで週4本くらい出演していました。

花上:トニーさんのご活躍はテレビでよく拝見させていただいていました。そのように、さまざまなメディアで活躍された経験が今につながっている部分もあると思いますが、いかがでしょう?

トニー:そうですね。僕はある媒体の取材を通じて、美容の源流探る旅をしたことがありました。12カ国・30都市ほど回ったのですが、その旅の中で出会ったのが「ホリスティック医療」です。ご存知の方も多いと思いますが、ホリスティック医療は紀元前からあるメソッドで、統合医療のことを指します。西洋医学の利点を活かしながら中国医学やインド医学などの伝統医学、自然療法、心理療法、手技などの代替療法を体系的に統合した治療のこと。国によっては、統合医療は「医療」として認められ、れっきとした治療法として確立されています。エジプトとかイスラエルは紀元前から発展してきたといわれています。その頃、僕は忙しい生活を送る中で、過労が原因で倒れ、西洋医学の限界を感じていました。そんなとき、世界の美容・健康体験をしたことをきっかけに、心と体の癒しを大成した「HOLISTIC BEAUTY」を確立。それ以来、私が提唱する美容理論はホリスティックがベースになっています。

花上:日本のみならず世界の美容の歴史を見つめてこられたのですね。世界と日本の美容業界の違いはあると思われますか?

トニー:文化レベルの差を感じますね。たとえば、アロマテラピーはイギリスに古い歴史があるのは知られていますが、じつはエジプトにはそれよりもさらに古い歴史があります。また、中国には冠元顆粒という血の巡りをよくする漢方があって、古代より使われてきましたが、じつはエジプトにはそれが2000年以上前からあったといわれているんですね。一方、ヨーロッパでは、かつて修道院が医療・施療機関として機能していて、修道士が医者の役割を果たしていたのですが、修道士が栽培した薬草を抽出したものがハーブティーになったり、そんな中でドクターバッチという人が草花から作り出したエッセンスを使って、バッチフラワーレメディズという代替医療を生み出したり……。そんな風に、世界の美容には脈々と受け継がれた歴史があって、それが深く関係しているんですね。しかし、その歴史が日本にやってきたと同時に、それは単なる“流行”でしかなくなってしまう。

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花上:たしかにそうですね。現在、日本では世界のさまざまな美容法が取り入れられてはいるものの、ある種のファッションのように流れている感覚はありますね。

トニー:アロマテラピーも、リフレクソロジーも、ネイルもそうです。ブレイクして、それ自体の存在は広く知られるものの、その原点にある歴史的背景や、ルーツを伝えようとしない。そうすると、いつしかビジネスという観点でしか見られなくなってしまう。

花上:エステティックの分野でも、同じことがいえますね?

トニー:はい。そもそもヨーロッパから広まったエステティックの分野も、代替医療が根本になっていますね。年をとって次第に衰えてくる肉体や精神を、エステティックという療法を使って心と体をケアし、生きる希望を与えていく――。もともとエステティックの考え方はそういうものなんですけど、日本に入ってきたときには人々はそういった歴史背景よりも真っ先に、“流行”として捉えてしまう。流行が終り、一般的になって使われつづけるものもありますが、現象もなくなると使われなくなってしまうものもある。本来ならば歴史は文化に支えられていなければならないのだけど。

花上:世界には脈々と受け継がれてきた歴史がある中で、日本にやってくると単なる“流行”でしかなくなってしまう風潮がある、と。それは、美容にかかわる人々の意識レベルの低下にもつながりますね?

トニー:はい。それは美容業界のみならず、あらゆる産業において言えることではないでしょうか。たとえばヨーロッパのデパートに行くと、ベビー用品売り場には50代、60代のスタッフが接客しています。「私は子どもを5人も育ててきたんだから、なんでも聞いてね!」って。かたや日本では、子どもを産んだこともないような若い人たちが販売員になっていたりします。美容の仕事も同じ。体の仕組みや筋肉の動きを学んでいない、ひいては人間の心と体がつながっていることや、美と健康がリンクしていることも理解していないような人たちが、“手の動きを習った”というだけで施術に入っていたりします。「その手の動きは何のためにするの?」と聞いても、答えられなかったりする。それは嘆かわしい話です。僕は過労が原因で病気をしたことがありますが、その際、リハビリのためにイギリスにあるロイヤルホメオパシーホスピタルという病院で治療を受けました。そこはリフレクソロジーやアロマテラピーなどの代替医療の病院なのですが、技術者たちは、「その治療を何のためにやるのか?」ということを僕に向かって滔々と語るんですね。僕のために行うすべての行為について、理論づけて話すことができるんです。

花上:世界と日本の技術者を比べると、レベルの差は歴然なのですね。その根本の理由はどこにあるとお考えでしょうか?

トニータナカ03_Ph01トニー:日本の教育体制が変化してきていることにあると思います。僕は全国の美容学校の生徒たちに向けて、定期的に講演を行っていますが、10年前、20年前と比べると、学生の質が違っていることに気づきます。“考える力”がすごく落ちているんです。現代社会はインターネットが普及し情報がありふれていますが、それによって、人々が考えることを止めてしまっているような気がします。それによって、“本質”を見抜く力が落ちてしまっている。

“考える・創造する・表現する”で磨く「本質を見抜く力」

花上:情報がありふれる現代社会の中で、“本質”を見抜く力をつけるためにはどうしたらよいでしょう?

トニー:「考えること」、「創造すること」、「表現すること」――。その3つを繰り返すことが重要だと思います。インターネットで情報を収集するのもいいでしょう。しかし、そこで得た情報を知識として活かし、知恵に変え、さらにアクションにつなげて検証していく――。そうすることでようやく、情報は活かされるのだと思います。また、“百聞は一見にしかず”という言葉があるように、自分が体感すること、見ること、それがすべて。知識を得て満足するのではなく、積極的に体感していただきたいですね。

花上:単に情報を風景のように眺めるの20生の方々にとっては大きな刺激になることでしょう。

トニー:今、僕は次世代のメイクアップアーティストを育てていく立場にあります。それと同時に、これまでの素晴らしい経験や培ってきたノウハウを、次世代の人たちに伝えていかなければならないと思っています。そのために、若い人たちに僕が体験してきたメイクアップの世界をどんどん体験してもらって、将来の糧にしてほしいと思っています。「本物」を積極的に吸収して、「本質を見抜く力」を養っていただきたい。そんな風に願っています。

花上:貴重なお話をお聞かせいただき、ありがとうございました。これからのますますのご活躍を、お祈りしています。

トニータナカ/1948年東京都出身。20歳の時、日英米合作映画でメイクアップを担当し、ハリウッドでビューティーメイクとスペシャルメイクを経験。帰国後TV・雑誌・映画などでマルチな才能を発揮。過労が原因で倒れたことがきっかけとなり、心と体の癒しを集大成した「HOLISTIC BEAUTY」を確立。

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