日本市場における資生堂デクレオール

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2013.10.21

編集部

デクレオールは、フランスで美容家として知られるソランジュ・デシムリー氏により1974年に創業された高級コスメティックブランド。日本への進出は1995年、美容機器の輸入販売を手掛けるインターフェースグループ(2006年倒産)の株式会社ケーアイオー(※現在の経営体制とは異なる)が日本総代理店契約を締結し進出を果たす。

当時提携交渉にあたった元インターフェース社幹部によると、かねてより日本市場への関心を持っていたデクレオール社と、エステサロン向けの美容機器販売によって急成長し、欧米コスメティックブランドの販売権拡大を目指すインターフェースグループの思惑が一致、交渉はスムーズに運んだという。

国内での販売は、ケーアイオー社と販売委託契約を締結したデクレオールビューティーファクトリー社(インターフェース社幹部の個人出資により設立)が主に担当し、ホテルやエステティックサロン及び百貨店への販売を積極的に展開していた。

その後、2000年に資生堂が仏本社を買収。資生堂は少なくとも75億円(当時)での買収を提示したと当時の関係者は証言する。

当時デクレオールビューティーファクトリーの経営幹部だった人物は、「デクレオールは、販売がとても難しいブランドだった」と述懐する。

その理由として、デクレオール製品が採っていたコスメティック市場へのアプローチメソッドは医学論に近く、日本では薬事法に抵触する内容が多かったため市販時の訴求点を強く見出すことが困難だった。その背景として、同社製品が本国フランスでは保険適用されるビューティーサロン等でも使用されていたことを指摘する。同時に、プロダクトアイテムの豊富さも販売現場の混乱を招く結果に繋がったと考えている。これらの問題点は、現場の販売員がデクレオール製品の特徴を熟知し、消費者に提案することを非常に難しくしていた。この現場での難易度の高さこそが、デクレオールが日本市場で苦戦した要因ではないかと同氏は分析している。

また、デクレオールが得意としているサロンにおけるトリートメントメソッドは、十分な教育を受けた技術者による施術が欠かせない。しかし、資生堂プロフェッショナルの主力販売先がヘアサロン市場であったため、そのトリートメントメソッドを活かしたホテルスパやエステティックサロンへの販売を思うように進めることが出来なかったのではないか、と分析する業界関係者もいる。折しも、景気の悪化がエステティックなどの高額サービスを避ける時代と重なったことも不運と言わざるを得ないだろう。

このような変遷を遂げたデクレオールブランドだが、エステティック業界ではプロダクトに対する信頼はまだ十分に厚いようだ。

およそ20年以上に渡りエステサロン経営を行なっているA氏は、「デクレオールは、ブランド力、認知度、製品の完成度。これら総合的な判断をすればトップクラスの製品だ」と言い切る。しかし同氏が経営するサロンでデクレオールは導入されていない。その理由として同氏は、「価格、売り方の難しさ」を指摘した。図らずも前出の経営幹部と一致する。

国内業務用化粧品市場における高級コスメティックブランドの苦戦は、この数年に渡るデフレ景気が影響している。高級エステサービスを一般のサロンが導入することは価格的に困難であり、良い製品であっても消費者に提供できる市場環境が整っていなかった。同時に欧米系ブランドの神話が崩れていることも背景にあるようだ。

過去、コスメティックブランドといえば欧米のブランドに人気が集中していた時代があった。しかしこの10年でその様相は大きく変化。基礎化粧品分野におけるJapanブランドの評価が高まり、相対的に欧米ブランドの価値が低下していることを多くの美容メーカー関係者が指摘している。これはブランド志向から機能性志向という消費構造の変化によるものだ。

しかし、日本メーカーへの安心感も先日のカネボウ美白化粧品による白斑問題を機に揺らぎ、まだ醒めてはいない。デフレ景気からの脱却に伴い、消費者市場に変化が訪れたといわれている今、市場には日本ブランド、欧米ブランド、そして近年台頭している韓国をはじめとした新興ブランドがひしめきあう。美容産業の再編はまだ序盤を迎えたに過ぎないのかも知れない。

 

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