没入的で、記憶に残り、ホリスティックで、バイオアクティブ—いまや香水は、あらゆる注目を集める存在です。マーケティングエージェンシーによって活用される香りのシグネチャー(香りのブランディング)は、ウェルネス体験を顧客の心理的・感情的な記憶に深く刻み込み、顧客ロイヤリティの向上につながります。私たちは今、香水2.0の時代に突入しているのです。
執筆:Laetitia Poncet Roméo
研究で解明された香りとマーケティングの可能性
香りは無意識のうちに、気分、感情、知性、行動、社会的判断、さらには測定可能な身体の変化指標にまで影響を与えることが、多くの研究によって示されています。実際、香りを構成する分子によって、選ばれたフレグランスはストレスを緩和したり高めたり、喜びを呼び起こしたり、抑うつを和らげたり、リラクゼーションや気持ちのつながりを感じやすくする作用があります。
また、香りは身体的な痛みの知覚にも影響を及ぼし、注意力や認知パフォーマンスを高めたり、逆に低下させたりすることもあります。
これらの変化は、筋肉の緊張、瞳孔の拡張、皮膚温、血圧、心拍数、脳の働きなど、即時的かつ測定可能な生理的変化として表れます。
科学から「嗅覚マーケティング」へ
長い間、科学の分野であまり注目されてこなかった嗅覚は、実は消費者の心理に最も強力に働きかける五感のうちの一つであることが明らかになっています。触覚、聴覚、味覚、視覚による感覚情報とは異なり、嗅覚刺激は直接的に感情や記憶の形成に関わる脳の領域に届きます。この前提は、ロックフェラー大学の研究によって実証されています。
私たちは触ったもののうちわずか1%、聞いたものの2%、見たものの5%、味わったものの15%しか記憶に残さないのに対し、嗅いだものは35%も記憶に残るという結果が出ています。したがって、嗅覚マーケティング戦略は、顧客の記憶に残りやすく、集客・印象付け・リピーター獲得に極めて有効なツールとなるのです。
差別化を実現する香りのシグネチャーと顧客記憶
通りすがりの人をあなたのサロンへ引き込む
パン屋の前を通ったとき、焼きたての香りに引き寄せられた経験は誰にでもあるはずです。銀行、スパ、ホテル、アパレルチェーンなど、様々な業界で香りによる誘引効果が活用され、顧客の興味を引き、販売体験へと導いています。例えば、ギャラリー・ラファイエット百貨店では「香りのルート」を設け、来店者を意図的に売場へ導いています。 BVA社がAir Berger社のために実施した調査によると、環境フレグランスの使用で店舗の来客数が50%増加したという結果が出ています。
あなたのサロンでも、ドアが開くたびに香りが漂うことで、通行人の関心を引き、入店・サービス体験・販売スペースへの誘導が可能になります。つまり、香りのシグネチャーは、あなたのサロンのアンバサダーなのです。
競合との差別化・顧客の記憶に刻み込み・ロイヤル化を促進
都市部では、美容サロンが乱立しており、隣り合っていることもあります。第一印象で良いイメージを与え、記憶に残る存在になることが、競合との差別化とリピーターの獲得につながります。受付時から、あなたの香りのシグネチャーが心地よさや喜び、リラクゼーションといった感情を引き起こし、顧客の気分を改善し、サービスへの関心を高めます。さらに、顧客の潜在意識にあなたのサロンの体験が記憶として刻み込まれ、心地よいウェルネス体験や購買体験と結びつき、強く、ポジティブで持続的な感覚記憶として定着します。
香りは記憶に残る
Sense of Smell Instituteの調査によると、視覚的記憶は3か月後に50%まで低下する一方で、香りの記憶は1年後でも65%保持されているという結果が出ています。このパーソナライズされた香りのシグネチャーは、あなたのサロンを他と差別化し、強固なブランド認知と顧客との絆を築く手段です。顧客は目を閉じていても、あなたのサロンを思い出し、他の選択肢よりもあなたの体験を記憶してくれるのです。これはそのまま顧客のリピーター化につながり、地域市場におけるあなたのポジションを強化します。実際、先述のBVA×Air Bergerの調査では、78%の顧客が「香りが心地よい場所に再訪したい」と回答しています。
購買意欲を刺激し、追加販売を促進する
香りには、人を引き寄せたり遠ざけたりする力があります。購買導線の中で、あなたの「香りのロゴ」は、それと同じようなインパクトを与えるのです。心地よい嗅覚的な空間演出は、商品やサービスのクオリティに対する印象を高めてくれます。また、施術と施術の間に多少の待ち時間があっても、香りによってその待ち時間を短く感じさせる効果もあります。
さらに、お客様の探索時間(コスメのテスト、メイク製品の試用など)を延ばすことにもつながります。実際、刺激的で快適な香りが漂っている店舗空間では、滞在時間が長くなる傾向があるのです。もちろん、目的はお客様を永遠に引き止めることではありません。施術後、無意識のうちに数分間だけでも物販コーナーに足を運んでもらうことが狙いです。BVA社の調査によると、香りによる空間演出を行ったことで、「つい買ってしまう」衝動買いが38%も増加したという結果が出ています。
専門エージェンシー活用で実現する香りブランディング
香りの戦略は、集客や売上向上、顧客の定着につながる重要な成長ドライバーです。その効果の高さを受け、最近では嗅覚マーケティングに特化したエージェンシーが多数登場しています。これらの専門会社は、様々なサポート体制と香りの拡散技術を提供しており、空間やブランドごとのニーズに合わせた何千種類ものオーダーメイド香料を提案しています。香りの力で店舗の空気を変え、顧客の体験価値とブランドへのエンゲージメントを高める手助けをしてくれます。
様々なディフューザー技術
Scentys社は、「ドライディフューザー」を提供しています。これは特許取得済みの技術で、ポリマー製のビーズに封入された濃縮香料をアルコールや溶剤を使わずに拡散する仕組みです。香りの切り替え時にも混ざることがありません。さらに、このシステムはAmazonのAlexaやGoogle Homeに対応し、音声操作が可能です。機器の価格は99ユーロ(約35㎡対応)、香料カプセルは12ユーロで、約50時間使用可能です。
Emosens社は、小規模施設向け、例えば、ビューティーサロンなどに適した装置を提案しています。同社マーケティング&コミュニケーションディレクターのエロディ・リシャール氏は「サロン空間に香りのシグネチャーを取り入れることで、感覚的な体験が豊かになるだけでなく、顧客と施設との感情的なつながりも深まります。」と述べています。
Six社のスマートディフューザーは、ネブライゼーション(超微粒子の霧化)によって香りを空間に広げます。設置は非常に簡単で、月額50〜60ユーロのレンタルプランで利用できます。Wi-Fi接続が可能で、曜日・時間・強さのスケジューリングが遠隔で行えます。300㎡を超える大規模空間には、エアコンダクトに直接接続する専用システムも用意されています。
また、固定式ディフューザーを補完し、香りの拡散をより調和させるための追加アイテムも存在します。Emoi社は、Nomadeaというプラグ式のディフューザーを提供しており、施術室に直接設置することで、受付以外の空間にも香りを広げることができます。
他にもシャワー中のマルチセンサリー体験を実現する製品もあります。例えば、ボディスクラブ後の洗い流し時に使えるのが、Hammel社のエッセンシャルオイルディフューザーです。価格は170ユーロで、シャワーホースと水栓の間に簡単に取り付けることができます。
香りの選び方─空間とブランドの調和が鍵
「香りの整合性(congruence du parfum)」─それは、空間の香りとブランドイメージの一貫性を意味します。香りを“ロゴ”として取り入れる際、この整合性が非常に重要です。選んだ香りは、提供している製品やサービス、そしてブランドのビジュアルアイデンティティと一致していなければなりません。様々な科学研究においても、この整合性が高いほど、消費者がその商品・サービスに対してポジティブな評価をする傾向があることが示されています。例えば、焼きたてパンの香りはウェルネス施設には不適切かもしれませんが、一方で、ロータスやジャスミンのリラックス効果のある香りは、施術と完璧に調和します。
専門エージェンシーの活用
嗅覚マーケティングの専門エージェンシーでは、調香師によって創り出された、様々な世界観・感情・季節に合わせた豊富なフレグランスが用意されています。すべてIFRA(国際香粧品香料協会)基準に準拠しており、安心して使用できます。
例えば、Emosens社では、5,000種類以上の香りを取り扱っており、リラクゼーションや美容のための空間設計に特化したアドバイスも提供しています。また、Scentys(センティス)社では、「冬のもみの木の空間(樹脂系の香り)」や「ラッキー・ワン(春らしいベルガモット・すずらん・シダーの香り)」のような季節感のある香りを展開しています。
香り選びのプロセスと特注対応
事前の電話ヒアリングの後、48時間以内に顧客の香りの好みに合ったサンプルが郵送されます。さらに、一定の予算を確保できる事業者には、専属の調香師が内装やブランド理念に応じて香りを設計するサービスも。この場合、マスター・パフューマーがサロンの写真や動画を通じて内装・雰囲気・経営理念・競合他店の分析を行い、香りによる独自のブランド・アイデンティティを設計してくれます。
香りの世界観を、お客様の日常へ
嗅覚マーケティングの専門エージェンシーでは、空間の香りを様々なアイテムに展開することが可能です。例えば、グリーティングカードや次回予約カード、香り付きサシェ、アロマキャンドル、ショッピングバッグなどです。これらのアイテムに触れた瞬間、お客様は店舗でのウェルネス体験を思い出し、感覚的に“そこに戻る”ことができます。これらのツールは、感情を呼び起こすトリガー(触媒)として作用し、お客様に「またあの心地良いひとときを体験したい」と思わせる力を持っています。
バイオアクティブ香水がもたらす美容とリラクゼーション効果
調香師の専門技術と科学の融合により、いまやオードトワレもバイオアクティブな存在に進化しています。つまり、顧客の感情に働きかけ、身体的な感覚を調整し、ストレスを和らげる可能性をもつ香りです。
香りはリラクゼーションの王様であり、感情のマスター
多くの研究により、心地よい香りは不安を軽減し、気分を向上させることが証明されています。特に、ストレスの多い環境にいる人々に対して、その効果は顕著です。代表的な例として、以下のような香りが挙げられます。
- シナモン:食欲を抑え、満腹感をもたらすことから、喫煙欲や間食の抑制に役立ちます。
- ローズ、ベルガモット、ローズマリー、ネロリ、ビターオレンジ、ラベンダー、カモミール:呼吸数・心拍数の上昇、コルチゾール(ストレスホルモン)の分泌といったストレスの生理的マーカーを低下・除去する働きを持つと報告されています。
香りがもたらす「楽観性」と「前向きな気分」
香りは、私たちの自伝的な記憶(過去の体験)を呼び起こす力を持っています。しかもその感情の強さは、他の感覚刺激よりもはるかに強いとされています。香りが喚起する記憶は、心地良く、個人的で、ポジティブなノスタルジーを伴います。このノスタルジーは、ポジティブな感情を高め、自己肯定感や自信、社会的なつながりの感覚を育て、過去と現在を結びつけ、人生に意味を与えるといった、心理的メリットをもたらします。
身体的不快感をやわらげる香りの力
近年の脳科学研究によって、痛みを感じる脳の領域と、香りを感じる領域には共通点があることが明らかになっています。つまり、ある特定の香りに包まれることで、身体的な不快感や痛みの感覚がやわらぐ可能性があるのです。実際の実験では、心地よい香りを嗅いだ被験者が、不安感や不快感の軽減を報告しています。
もちろん、痛みの感じ方には気分・感情・集中力といった心理的な要因も影響します。しかし、施術空間に適切な香りを取り入れることで、お客様がより安心し、リラックスした状態でサービスを受けられるようになるというのは、大きなメリットです。香りは、単なる演出にとどまらず、“体感価値”を高める戦略的ツールになり得るのです。
ブランドが進化させる香りとスキンケアの融合
感情と香りの関係性に着目し、心理状態に働きかける「香りの分子(芳香分子)」を配合したコスメや香水を開発するブランドが注目を集めています。こうした香りの心理活性効果を応用することで、1日の中で移り変わる気分を整える処方が可能になりました。中でも効果が高いとされるのが、精油です。例えば、朝用のクリームにはネガティブな思考を和らげ、前向きな気持ちを引き出すブレンドが採用されており、夜用のセラムにはストレスを落ち着かせ、深い眠りへと導くよう設計されています。
Dermapositive ─ 7つの女性の感情に着目した美容液
Dermapositiveは、7つの感情テーマ(喜び・安らぎ・自信・活力・ホルモンバランス・官能性・睡眠)に対応する美容液シリーズを展開しています。
ステップは以下の3段階です。
- オンラインテストで現在の感情や気分を診断
- 選ばれたセラムをまず吸入(香りを嗅ぐ)ことで、香気分子が大脳辺縁系に作用し、心を整える
- その後、肌に塗布することで、植物オイルによるエイジングケア効果も得られる
香りとスキンケアを融合させた新感覚のビューティールーティンと言えるでしょう。
Acorelle ─ 気分を整えるフレグランス「BE positive」
Acorelleは、天然香料を使用した洗練されたオーガニックパフュームを展開するブランド。心のバランスに着目した処方で、香りによって、鎮静・覚醒・気持ちの切り替え・エネルギーの活性化などの効果が期待できます。中でも「BE positive」シリーズは、“楽観主義とハッピーな気分のブースター”をコンセプトに開発されたライン。ひと吹きするだけで、ストレスを和らげ、穏やかな心地よさを日中ずっと保つことができます。
Altearah ─感情に寄り添うトリートメントフレグランス
Altearahは、施術空間向けに展開するフレグランスケア製品のラインアップを揃えています。 オーガニック成分とニューロアクティブ成分(神経に作用する有効成分)を配合し、香りを通じてお客様の心をポジティブな状態へと導きます。
また同ブランドは、香りと色彩心理学を融合し、その日の気分や状態に合わせた施術プロトコルを開発。ウェルビーイングの新たな境地を切り開くアプローチを実現しています。
アンチエイジングから育毛まで広がる香りの応用
私たちの嗅覚受容体は、鼻だけにあるわけではありません。実は、筋肉・腎臓・膵臓・腸・心臓・皮膚など、さまざまな組織にも存在しています。具体的には、ケラチノサイト(表皮細胞)、メラノサイト(色素細胞)、毛包(毛根部)といった皮膚構造が“香り”をキャッチし、反応しているのです。
サンダルウッドの香りは、アンチエイジングから育毛まで
実験により、サンダルウッドの香料成分(サンダロール)が、ケラチノサイトの増殖を促進し、創傷治癒を早め、毛髪の成長期を延長し、脱毛を20%抑制することが確認されました。香りが毛包(毛根部)にある嗅覚受容体を活性化するというこの知見は、アンチエイジングやヘアケア分野に革新をもたらす可能性を秘めています。
スミレの香りは、次世代のオートブロンズに?
次に注目されているのが、スミレの香り(β-アイオノン)です。この成分は、メラノサイトに存在する嗅覚受容体「OR51E2」を活性化し、メラニン生成を促進することがわかっています。この発見は、将来的に、色素異常の治療や画期的なサンケア製品(オートブロンズやUVケア)などへ応用される可能性があります。
ローズの香りが“肌のストレス”を軽減
臨床実験では、ローズ抽出成分が皮膚にある3種類の新しい嗅覚受容体を活性化することが判明しました。目元のむくみが軽減され、肌の“ストレス状態”が緩和されるという効果が観察されています。「バラ色の話」にとどまらない、科学的にも注目すべき新知見です。
美容処方とブランド戦略に不可欠となる香りの役割
これまで香りは「アレルゲンのリスク」などで敬遠されることもありました。しかし現在では、美容処方やブランド戦略に欠かせない中核成分としての地位を確立しつつあります。バイオアクティブな香りを施術に組み込むことは、五感の演出を超えた、没入感あるウェルネス体験の創出につながります。
今後、香りがコスメの処方設計そのものを再定義する可能性も出てきました。例えば、アンチエイジング香水、自動日焼けコロン、育毛パルファン…そんな未来の製品が、もうすぐ現実になるかもしれません。