サロンの空間づくりは、顧客体験において重要な役割を果たします。では、どのようにすれば印象に残る体験を提供できるのでしょうか。大きなコンセプトを語るだけではなく、具体的な工夫や実践的なヒント、実例を交えて、機能性と没入感を両立させた空間づくりの手法を探ります。今回は、リテールデザインの専門会社GLÖ Studio共同創設者のAgata Gourlaouen氏に話を伺いました。
魅力的な施術メニューは、顧客をサロンに引き寄せる大きな要素ですが、それはあくまで始まりに過ぎません。顧客が本当に記憶に残すのは、施術そのものよりも「空間で過ごした全体の体験」です。そして、その体験はドアを開けた瞬間から始まります。
だからこそ、空間設計を丁寧に行うことが不可欠です。細部に至るまで意図を持って設計する必要があります。この考えこそが、Agata Gourlaouen氏とElsa Abitbol氏がGLÖ Studioを立ち上げた原点です。
小売店舗でも美容サロンでも同様に、顧客の動線をスムーズにし、没入感を生み出す雰囲気をつくることが重要です。「美容サロンは、施術の専門性やブランド選定の巧みさはもちろん、空間設計を通じて自らのコンセプトを体現しなければなりません」とGourlaouen氏は語ります。
サロン体験を左右する空間設計の最新トレンド

(左)Elsa Abitbol氏 (右)Agata Gourlaouen氏
変化する顧客の期待
時代とトレンドの流れとともに、顧客の期待は大きく変化しています。いま、顧客は単に施術を受けるためにサロンを訪れるのではなく、空間全体を通して「ひとつの体験」を求めています。
そのため、美容サロンは変革を遂げ、各スペースがそれぞれ異なる世界観を表現しながらも、全体として統一感のある「ハイブリッドな空間」へと進化しています。
「販売エリアに加え、香水店とコスメティック専門店の中間のようなゾーンを設け、スキンケアブランドを紹介するケースも増えています」とGourlaouen氏は説明します。顧客はより個別化されたアドバイスを求めており、担当者には施術面だけでなく販売面においても高度な専門性が求められます。
変化する空間デザインの潮流
「美の世界を取り巻くコード(価値観)は今、大きく変化しています。ブランドやコンセプトが次々と登場することで、消費者が疲弊してしまっているのです。そのため現在は“スローデザイン”の時代です。空間はできるだけシンプルに保ち、色数を絞り、植物や過剰な装飾といった演出を控えるべきです」とGourlaouen氏は分析します。
さらに、「照明は特に重要です。また、空間の柔軟性や顧客の動線設計も大切な要素です」とも付け加えます。
五感を生かした美容サロン空間設計が生む没入体験

視覚
柔らかく自然な素材の使用が、近年の美容サロンや小売店舗でのトレンドとなっています。これは、顧客が求める「心地よく包み込まれるような感覚」を再現するためです。「この感覚は、視覚的な安らぎの演出に通じます。入店した瞬間から、顧客が心を落ち着けられるような空間であることが大切です」とGourlaouen氏は語ります。
嗅覚
視覚において穏やかな印象を与える素材選びが大切であるのと同様に、嗅覚の演出も忘れてはなりません。多くの店舗が自社の香りをアイデンティティとして持っています。たとえば、パリの五つ星ホテル「Le Brach Paris」もその一例です。
香りのシグネチャーを空間全体に
香りの演出は、トイレなどの隅々にまで続くことが望ましいものです。とはいえ、どんな香りでもよいというわけではありません。重要なのは「自分の空間の香りのアイデンティティ」を持つことです。
顧客がその香りを心地よい体験と結び付けて記憶できるよう、自社の香りのシグネチャーをつくることが大切です。そのためには、嗅覚マーケティングの専門家に相談するのが効果的です。専門家は、あなたの期待やブランドイメージを理解した上で、唯一無二の香りのアイデンティティを提案してくれます。
聴覚 ― 記憶を呼び覚ます音の力
顧客自身がそれを意識していなくても、サロンを訪れるたびに「感覚を通した記憶」が刻まれています。こうした記憶は、感覚の刺激によって生まれるものです。
「サロンをひとつの“ブランド”として捉えることが大切です。そうすることで独自の戦略を築くことができます。その一環として、空間ごとに流す音楽も重要な要素になります」とAgata Gourlaouen氏はアドバイスします。
すべての顧客が、サロンの扉を開けた瞬間に小鳥のさえずりを聞きたいと思っているわけではありません。音の選び方にもブランドの個性が表れます。
光 ― 見落とされがちな重要要素
建築設計の専門家であるGourlaouen氏は、光の扱いがサロン設計で軽視されがちであることを指摘します。
「確かに照明設備にはコストがかかります。しかし、予算が限られている場合は、装飾に費やすよりも、シンプルで落ち着いた空間に良質な照明を取り入れるほうが良いでしょう。照明が悪ければ、それだけで全体の体験が台無しになります」と語ります。
良い照明とは、白や黄色ではなく、柔らかく自然な光を放つ電球を選ぶことだといいます。「また、一日の時間帯に応じて光の明るさやトーンを調整できるようにすることも重要です」と彼女は補足します。
美容サロン空間設計の実例に学ぶブランド価値向上の手法

香りを軸にした空間構成とブランド調和の工夫
Agata Gourlaouen氏とElsa Abitbol氏は、最近パリで6月にオープンしたOh My Creamの新店舗デザインを担当しました。
この店舗の設計要件は非常に高く、受付・販売・カウンセリングの各スペースを一体化させる必要がありました。そのため、香りの世界に没入できるような総合的な空間を設計し、「Sense Room」という新たなコンセプトを導入しました。
特に香水の原材料に焦点を当てた空間構成が特徴です。「私たちは、従来のレジスペースをなくすといった大胆な仕掛けを取り入れました。顧客に“店に来た”という感覚を与えないことが重要だったのです」と建築家は語ります。
また、Oh My Creamで取り扱うさまざまなブランドが共存できるよう、それぞれの世界観や色使いの違いを調和させる工夫も求められました。
柔らかな曲線と温もりのある素材で構成された空間
空間全体は、アーチ形の構造や温かみのある素材、そして研磨コンクリートなどを取り入れ、丸みを帯びたデザインで構築されています。 建築家の2人は、高品質な素材を選択しました。メイクアップの世界観も施術空間に統合されています。「美しいメイクブランドを前面に打ち出しました。これは美容施設で今後発展させるべき有効な方向性です」と専門家は説明します。
小規模サロンに最適化したミニマル空間設計のポイント
2人の建築家は大手ブランドだけでなく、より小規模な施設やサロンとの協働も多く行っています。そうした空間は、彼女たちのクライアントの中でも重要な割合を占めています。現在、リヨン近郊にあるサロンをサポートしています。
「このクライアントは大手ブランドほどの予算を持っていません。そのため、私たちは受付エリアに重点を置きました。施術室については、光の演出とベッドの品質を重視しながら、シンプルな設計を採用しました」とAgata Gourlaouen氏は語ります。
「真のリラクゼーション体験を提供するためには、空間を圧迫する要素をすべて取り除くことが重要です。不要な装飾、冷たい照明、過剰な色や素材を排除し、ニュートラルで穏やか、すっきりとした空間に整えるべきです。明るい壁、控えめな家具、柔らかな照明。すべては、視覚的な負担を減らし、心を施術と身体、そして専門家との関係に集中させるために設計されています。」
さらに、Agata Gourlaouen氏とElsa Abitbol氏は、このリヨンのクライアントに対して空間設計を超えたオーダーメイドの成長戦略を提案しました。「専門家を招いた講演会を開催するよう助言しました。こうした取り組みは顧客のロイヤルティ向上につながります。また、一部のスペースを他の専門家に貸し出して、副収入を得る方法も提案しました。」
限られた予算で実現する美容サロンの空間改善術
サロンの空間設計に必要な予算は、さまざまな条件によって大きく異なります。
たとえば、受付スペースに大理石を使用する場合は、当然ながらコストが高くなります。一般的に、電気設備や配管などを含む全面改装では、1平方メートルあたり1,500〜1,800ユーロを見込む必要があります。
限られた予算で始めるには
予算が限られていても、少しの工夫で古くなったサロンを刷新することができます。
「まずは既存の装飾を見直すことをおすすめします。多くのサロンでは、意味のない装飾品―植物や小石など―が多く使われています。それよりも、白い塗装に変え、木製または金属製の美しいテーブルを置き、その上にいくつかの製品を並べるほうが効果的です。今求められているのは、装飾過多なサロンではなく、没入感のある空間です」とGourlaouen氏は語ります。 照明や家具も、少しずつ交換していくことが可能です。
体験価値を軸にしたサロン経営の次なるステージ
サロンの評価は、インテリアや装飾だけで決まるものではありません。その先にある取り組みが重要です。
SNSでの効果的な発信、イベントの開催、ブランドコンセプトに沿った製品選定、特徴的な施術やオリジナルメニューの導入、テクノロジーの活用、肌診断、施術プロトコルの最適化のためのAI導入など、これらの取り組みこそが本当の意味での「顧客戦略」といえます。
空間への投資を
言うまでもなく、サロンの空間づくりは全体戦略の中心であるべきです。高品質な施術や有名ブランドをそろえるだけでは不十分です。
「確かに大きな投資が必要ですが、その成果は必ず得られます。重要なのは、美容ビジネスを理解し、共に考えてくれる適切なパートナーと組むことです。そうして初めて、空間設計が顧客の定着を生む本当の力となります」とGourlaouen氏は締めくくります。
