株式会社アルテ サロン ホールディングス 代表取締役会長 C.E.O吉原直樹さん

インタビュー

監修:美容経済新聞

首都圏を中心に101店舗を展開する「HAIR MAKE Ash」をはじめ、複数の美容室チェーンをグループ会社に持ち、2004年8月にJASDAQに上場を果たした株式会社アルテサロンホールディングス代表取締役会長 C.E.Oの吉原直樹氏をゲストにお迎えする。
※記載内容は全て取材当時のものとなります。(c)2010

吉原直樹さん

吉原氏が美容業界に入るまで

竜雷太さんや夏木陽介さんの青春ドラマに憧れて、教師を目指していました。

花上:吉原さんは首都圏を中心とする美容室チェーン「HAIR MAKE Ash」の創業者で、現在では複数の美容室チェーンを束ねる株式会社アルテサロンホールディングスの代表取締役会長 C・E・Oとしてご活躍されていらっしゃいますね。
このインタビューでは吉原さんがどのように美容業界に入られて、どんな風にその道を歩まれてこられたか、お伺いさせていただければと思います。
どうぞ宜しくお願いいたします。

吉原:宜しくお願いいたします。

花上:大学時代は教育学部に在学されていたそうですね。
当時の夢は教師になることだったとか。

吉原:昭和30年代に生まれた私たちが育ったのは、ちょうど日本が高度経済成長期真っ只中の時代。小学生の時に東京オリンピックが、中学生の時に日本万国博覧会が開催されました。日本経済は絶頂期で、世の中全体がエネルギッシュな雰囲気。夢や希望にあふれていました。

一般家庭にテレビがやってきたのもその頃で、私は中学生の時にはスポ根系の青春ドラマに夢中になりました。
教師がラグビーなどのスポーツを通じて不良生徒を更生させていく…というような役柄の竜雷太さんや夏木陽介さんたちに憧れたものです。私自身が剣道をしていたこともあり、そういった類のドラマに刺激されて「いつか、あんな素晴らしい先生になりたい」と思うようになりました。
そのような経緯で、大学は教育学部を受験したんです。

花上:そこから、どういったきっかけがあって美容業界に足を踏み入れられたのでしょうか。

吉原:教師になる夢を追って大学では教職免許を取り、小学校での教育実習も経験しました。
でも、実際に教育の現場を見てみると、私が思い描いていた世界とはなんだか違う…。ドラマで見たような教師にはなれそうにないと思いました。

その時、ちょうど若者たちの間でバックパックを背負って海外を放浪旅する「バックパッカー」が流行していて、私もイギリスやイタリアなどを周りました。
そんな中で、漠然と“海外で働いてみたい”という新たな希望が芽生え、海外展開を積極的に行っていた企業を中心に就職活動をすることにしたのです。その結果、ご縁があってタカラベルモントに入社しました。

海外で働いてみたい!という希望を追って。

花上:美容には興味があったんですか?

吉原:正直、美容には無縁でした(笑)。
当時はまだまだ男性が美容室に行く習慣がありませんでしたから、美容室=女性の世界というイメージで…。ですから、始めは戸惑いました。
お店に入ることすら恥ずかしかったくらいです。

でも、面白いと思ったのは、美容業界は学歴が要らない世界だということです。
普通の会社では四年制大学を出たほうが優遇されますが、美容業界ではそれがハンデになる。大学を卒業した22歳で私は業界1年生になりましたが、中学を卒業してすぐに美容師になった人はその歳ですでに6年生。25、6歳になればキャリア10年になりますから、経営者になる人もいれば年収1000万円を超える人もいました。
私が給料11万円か12万円の時に、彼らはその何倍も稼いでいたんです。実力次第でどうにでもなる世界なんだな、と思いました。

花上:タカラベルモントではどのようなお仕事をされていたのでしょうか。

吉原:美容室に美容機器を販売したり、新店舗の立ち上げのお手伝いをしたりしていました。
入社3年目には海外勤務希望者のための試験があるので、それを目指して一生懸命働きました。そして25歳の時にはトップセールスマンに。
営業成績も残すことができて“さぁ、これでいよいよ海外に行くことができる!”と思っていたのですが、残念なことに試験に落ちてしまったのです。
“海外に行けるチャンスがないのなら、自分で行くしかない”と思って、会社を辞めて自費でニューヨークに留学することを決意しました。

花上:海外に行きたいという想いがよほど強かったのですね。

吉原:はい。
その時、私は200万円…今でいうと450万円くらいの貯金を持っていましたから、そのお金を使って留学しようと考えていたんです。
でも、ある人に貸したが最後…、そのお金が戻ってくることはありませんでした。
ニューヨークへ行けず、一文無しになってしまい、これはどうしたものかと途方に暮れていた矢先に、ある美容関連の会社の社長が声をかけてくれました。
「教育学部を出ているのなら、うちの会社で美容室のマネージャーをやらないか」と誘っていただいたんです。

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吉原直樹 Naoki Yoshihara

Profile
1956年神奈川県生まれ。
78年埼玉大学教育学部卒業、同年4月タカラベルモント株式会社に入社。

1981年美容室チェーンに転職し、店舗開発、店舗運営を手がける。
28歳で自らも美容師免許を取得するため、美容学校に入学。31歳で美容師免許を取得。
1986年に個人事業主として横浜市に美容室を開業、88年に有限会社アルテを設立。
東京、神奈川を中心に「Ash」ブランドの「のれん分けフランチャイズ方式」という美容師の独立支援システムで業績を伸ばす。

2004年8月にJASDAQ市場に上場。
現在、株式会社アルテ サロン ホールディングス代表取締役会長としてグループ全体の指揮をとる。
著書:『「世界で戦える日本」をつくる新発想』(幻冬舎)

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