株式会社スリムビューティハウス 代表取締役CEO西坂才子さん

インタビュー

監修:美容経済新聞

エステティック産業の第一次ブームともいえる1980年代より、東洋美容の考え方をいち早く取り入れ、“オリエンタルエステ”を提唱し先駆的な存在となった、株式会社スリムビューティハウス 代表取締役(CEO)西坂才子氏にお話を伺った。
現在の年商は59億円、全国で直営店舗70店舗を展開し、中国にもすでに1店舗を出店している同社。健全で強い経営体質と顧客満足度の高いサロンづくりには、“社会に必要とされる企業でありたい”という西坂氏の強い思いがあった。
※掲載内容は全て取材当時のものとなります。(c)2012

西坂才子さん

オリエンタルエステでエステティック業界を牽引

花上:今回は、エステティック業界のパイオニアの一人である西坂さんに、これまでの歩みと会社経営への考え方についてお伺いできればと思います。よろしくお願いいたします。

西坂:こちらこそよろしくお願いいたします。

花上:貴社は“オリエンタルエステ”という当時は画期的なコンセプトで、エステティック業界を牽引していらっしゃいました。西坂さんはどのような経緯でエステティック業界に参入されたのでしょうか。

西坂:私は33年前、1980年に独立し、スリムビューティハウスの前身である鍼灸治療院「早稲田美容研究所」を開設しました。もともと、手に職をつけて経済的に自立した女性になりたいと考えていたのですが、四年制大学を卒業した当時は経済不況で、女性の就職も難しかった。そのような時に鍼灸治療と出会い、新鮮な驚きを感じたのです。
そして、鍼灸をはじめとした東洋の知恵は、身体の治療だけでなく、美容にも効果的ではないかと考えました。当時のエステティック業は成長産業でもあり、将来性があると感じていた。
また私にとっても、女性ならではの感性を活かして一生続けられる仕事だと思い、エステティックを始めようと決意したのです。

花上:確かに約30年前はエステティックの第一次ブームで、起業する方も多かったですね。そのなかで、西坂さんはどのように多くの女性の心を掴むことができたのでしょうか。

西坂:当時は様々なエステティックがありましたが、表面的な美を追求するものが多かったように思います。しかし私は、内臓機能を活発にし、身体の内側を健康にすることで美しくなろうという東洋美容の考え方を応用し、「オリエンタルエステ」というコンセプトを考案しました。エステティックサロンでは鍼灸はできませんが、カッピングやカップドレナージュなど、東洋美容ならではの技術を提供できます。当時としては新しい先駆的な考えであり、女性への訴求力は非常に高かったと自負しています。
そして、83年にはオリエンタル・エステティックサロン「スリムビューティハウス」を吉祥寺店にオープンしました。4年後には株式会社スリムビューティハウスを設立し代表取締役に就任。その後は非常に順調に店舗を展開することができ、160店舗ほどまで一気に事業を拡大していきました。

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花上:西坂さんは、創業当時から戦略的な経営目線で会社を興されていったのですね。

西坂:しかし、躓きもありました。あまりにも事業拡大が早かったため、スタッフ教育が追いつかず、90年代後半には事業規模の縮小を迫られました。当時ではすでに、エステティックに関する相談は国民生活センターや消費生活センターにおいて多数を占めており、より信頼性の高い店舗づくりが求められていたのです。これが最初の躓きです。
さらにその後、様々な業種で長期にわたる前売金制度の問題点が表面化したこともあり、数年間は財務の健全化に注力しました。それが奏功し安定を取り戻したので、また新たな戦略を立てているところです。

花上:健全化への取組みは、エステティック業界全体にも大きく影響しますね。

西坂:これまで様々なことを経験してきましたので、こうありたいという会社の姿や、やりたいことというのがはっきりと見えてきたのです。健全な経営は、法令を遵守した営業体制につながります。またお客様が安心して通え、満足度も高いサロンづくりにも集中して力を入れることができます。安全で信頼性の高い企業でありたいと考えるようになりました。

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西坂才子 Saiko Nishizaka

Profile
青山学院大学卒。
鍼灸専門学校を経て、鍼灸師の資格を取得。
1983年「武蔵野鍼灸センター」を開設した後、「スリムビューティハウス」の展開をはじめる。

日本美容福祉学会理事。
財団法人自由アジア協会理事。
財団法人日本エステティック研究財団会員。
日本エステティック協会会員。
有限責任中間法人日本全身美容協会会員。
日本美容皮膚科学会会員。

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