〇解説記事①「キリンの傘下に入ったファンケル」 ~池森ファンケル会長、元気なうちに将来を託せる企業に譲る決断~(中)

2019.08.27

特集

編集部

一方、ファンケルが資本業務提携に踏み切ったのは、2018 年に長期ビジョン「VISION2030」を発表し「美」と「健康」の領域において世界中の顧客から信頼される企業集団になることを目指している。特に、健康食品について科学的な裏付けのある“サプリメント”として手の届く価格で販売するなど「健康寿命の延伸」と医療費の削減に貢献することを使命に事業展開してきた。
こうした「健康」に関する社会課題の解決を通じて成長を目指すキリンの考え方と「健康寿命の延伸」という大きな社会課題の解決に取り組むことで成長を目指すファンケルの考え方が一致し提携に踏み切った。

両社は記者会見の席上「理念と方向性が一致しそれぞれの持つ強みを相互に活かすことで、素材等の研究開発や生産、マーケティング・販売に至るまでのバリューチェーン全体をより強固にするなど事業開発のスピードとシナジー効果を発揮することができる」と強調した。

ところでファンケル創業者で現代表取締役会長執行役員ファウンダーの池森賢ニ氏が保有する株式33.0%(議決権ベース)を1293億円でキリンに手放す決断をしたのは、なぜか。

資本提携発表の記者会見で池森会長は「私は今年、82歳になった。私が突然死んだら、ファンケルはどうなるのか、と真剣に考えてきた。私が元気なうちに、将来を託せる企業に譲った方が良いという結論に至り私の役割はここまでと考えた」と説いた。
池森氏は、2005年に会長から名誉会長に就任し、経営の第一線から離れた。しかし、池森会長の退任後は、社長も定まらなかった。2003年から2006年まではダイエー取締役を経てローソン会長から転身した藤原謙次氏が社長に就いた。その後、2007年からは同じくダイエー出身の宮島和美氏、2008年からは蛇の目ミシン工業出身の成松義文氏と、毎年のように社長が交代した。

このようなドタバタ劇を映すかのようにサプリメント事業が低迷。主力の化粧品事業もブランド再構築に失敗し、2013年3月期に21億円の最終赤字に転落した。池森氏は、負のスパイラルから脱却するため、2013年1月に名誉会長兼執行役員として経営に復帰した。経営に復帰した池森氏ガ取り組んだのは、2014年4月に持ち株会社へ移行し化粧品事業を「ファンケル化粧品」に健康食品事業を「ヘルスサイエンス」に分社化した。だが、分社化した2社を3年後の2017年4月にファンケル本体に吸収合併すると同時に、2017年4月に島田和幸氏が社長執行役員CEOに就任し、トップのバトンを渡した。

現在において同社は、経営再建を果たし、利益を出せる体質になっている。同社の2019年3月期(連結)は、売上高1224億円(前年同期比12.4%増)、営業利益123億円(同46.6%増)と絶好調。主力のファンケル化粧品は、基礎化粧品が堅調で、訪日観光客による爆買いがサプリメントの売上も押し上げた。

 

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