株式会社不二ビューティ 代表取締役たかの友梨さん
監修:美容経済新聞
たかの友梨ビューティークリニック創業者たかの友梨氏。
美のカリスマとして業界のトップを走り続ける同氏への独占インタビュー。ビジネスキャリアのスタートから、波乱の人生について話を伺うともに、これからの自身の展望と若い経営者たちへの、メッセージを本紙代表の花上哲太郎が伺いました。
※掲載内容は全て取材当時のものとなります。(c)2009
努力はすればするだけ自分が前に進んでいくもの
16歳のとき、群馬の小さな理容店で住み込みで働き始めたのが、私の仕事人生のスタートです。
定時制高校に通いながら、学業との両立をし、技術の習得に明け暮れる日々。
学校から戻り、眠いのも忘れ、毎晩、練習に励みました。
当時、職人は上下関係も厳しくて、先輩や同僚からは学校に通ってるというだけで、今で言うイジメの対象でした。
仕事で辛いことはなかったけどイジメは辛かったです。
仕事は楽しくて充実してました。何より腕に力をつけていく実感が嬉しかった。
そのとき学んだことが「人間、努力すればするだけ自分が前に進んでいく」ということ。
人の2倍も3倍も努力しました。
理容師になって4年目、勧められるままに群馬の理容コンクールに出場して入賞。
以後群馬のコンクールでは、出れば入賞。
次の目標は、やはり日本一。
東京を目指そう。
人と同じことはやらない自分なりの工夫が必要
上京したのは20歳のときでした。
抱えきれないほどの大きな夢を膨らませ上野行きの列車に乗っていました。
上京後、東京での理容師生活が続くある日、これからは男性も長髪を楽しむ時代になる。
さらに理容師の世界は男性社会で限界も感じていた頃でした。
美容師資格を取得しようと思いました。
ただし美容師になって美容院を経営しようは思わなかったですね。
男性用の美容院を作ればいい。
人と同じことをやってもダメ。
どこか自分なりの工夫をしなければという思いをそのころから持っていました。
「思ったことをすぐに行動に移す」のは私の得意とするところです。
美容学校の通信教育科に入学し勉強をはじめました。
通信教育期間は2年間。最終過程で1ヶ月間、スクーリングに参加する必要があります。
そのため、理髪店を1ヶ月休まなくてはなりませんでした。
そこで、店主に相談したところ……答えはNOでした。
私の決断は早かったです。
慣れた職場を辞め、美容師免許を取ることを選択。
私にとって店を辞めることは大きなチャンスに繋がりました。
ニキビに悩んだことが人生を変えた
ある日、電車の窓に映る自分の顔に愕然としました。
目の下はクマ、そしてニキビだらけの顔……昼も働き、夜は皿洗いのバイト。
さらに家に帰ったら美容師免許を取るための勉強。
人生二毛作という考えで昼・夜を使い分け、24時間、最大限に使おうと……いくら若くても限界を超えていました。
そのツケがこの顔だ。
ニキビに悩み、何とか治したい。
そこで化粧品店に足しげく通い、ひらめいたことは……
ビューティーアドバイザーになれば化粧品も使えるし、美容知識も身につくはず。
そして、ある外資系化粧品会社のビューティーアドバイザーに採用されました。
理容師から、ビューティーアドバイザーに……
人生観も変わっていました。
技術が一番だった職人から、美意識も磨かれ、周りの人たちも変わっていく。
成功哲学も自然と学んでいました。
成功者たちはそれぞれ、独自の発想で時代をつかんでいる。
そのころ読んだ本が、マクドナルドを日本に導入した藤田田氏の「ユダヤの商法」。
『女と口を狙え!』
というフレーズがあり、女性相手と食べ物の商売は必ずあたるという主旨のことが書いてありました。
人生観まで変えてしまったビューティーアドバイザーの仕事でしたが、相変わらずニキビには、悩まされていました。
あらゆる情報の中で本物の技術を知りたい……
そんなある日「新聞でパリでエステティックサロンが大流行」という記事を目にしました。
その瞬間、「これだ!」と確信。
女性をきれいにする仕事、そして、技術を行えること。
世界最先端の美容法をいち早く日本に持ち込むこと。
何もかもが、私が目指しているものと合致していました。
結果論になるけれど、私が成功できた理由のひとつは私自身が根っからの技術者だったこと。
そしていつもプラス思考で物事を捉え、直ぐに行動に移していました。
ふり返れば、私の人生は常にそうでした。
Profile
株式会社不二ビューティ(たかの友梨ビューティクリニック) 代表取締役
たかの友梨エステティックアカデミー 学院長
美容家
美のプロフェッショナルとして幅広く活動している美容家。
自身が創業したたかの友梨ビューティクリニックは、現在、123店舗を展開する業界トップクラスのエステティックサロンとして幅広く知られ、従業員数も1,120名を数える。
『運が悪くってよかった!』(IN通信社)など、著書も多数。